2002年の元旦は、完全徹夜で日の出を迎えることになった。
旅行にiMacを持っていくとなると、それだけで十分重いのでなるべく荷物を増やしたくない。そこで、旅行の情報はなるべく旅行サイトからパソコンに取り込んでおくことにして、ガイドブックは持っていかないということに決めた。ところが年末までは原稿書きで死ぬほど忙しくて、サイトを探す余裕が全くなかったので、出発日直前になって泥縄で役に立つサイトを探す羽目になったというわけである。
しかしこれは全くの手抜かりであったことが、のちに痛感されることになる。先達はあらまほしきことなのである。
今回の旅の目的は、はっきりしている。
イタリアでは、ローマ時代という人類が創造した最も輝かしい時代の息吹を感じとること。そうした中でも何か日本人に近い民族性を感じさせるシチリア島で、次元が違うとは思うけどどこかでつながっているはずの、われわれとの接点を探る。またイタリア北部では、中世のキリスト教支配にも触れることができるだろう。
ギリシャにわたって、アテネでは、人類が初めて民主制という政体よう獲得したその地に立って、民主制について考えてみたいと思った。さらにウィーンでは、ハプスブルグ家という王家の支配について考えてみたい。つまるところ、民主制、ローマの帝政、中世のキリスト教支配、絶対王政の支配という、政治体制の変遷を考えてみようという旅なのである。
元旦の朝8時、パッキングして、トランクを転がしながら家を出る。タクシーは家の前で簡単に捕まった。タクシーで東京駅にいき、そこから成田エキスプレスで成田へ。満席である。しかし空港は、比較的すいている。
英国航空に乗り込んで14時間でロンドンへ。この英国航空のエコノミークラスが座席が非常によい。サービスも悪くないし、値段から考えると、とんでもなくコストパフォーマンスがよい気がする。3万円プラスすると、もうちょっと座席の幅が広いクラスに移動させてもらえるそうだ。またビジネスクラスは、おもしろいことに隣の席と前後逆に向かい合わせて座るようになっており、視界を遮るために蛇腹の衝立がひじ掛けの横に付くようになっている。なかなかおもしろい工夫である。
4年ぶりにヒースローにやってきた。日本からの便はターミナル4に着くので、そこからバスでターミナル1に移動する。この国のひどい入管を通らなくて良いだけでも助かったと思う。空港内の免税店には、イギリスにいたときによく見ていた懐かしい名前の店が並んでいる。電気店に入って、ビノキュラスを買う。
夕方発の飛行機でミラノへ。ボーイング757である。ミラノリナーテ空港午後8時着。荷物をがなかなか出てこない。このあたりがやっぱりイタリアだなと思う。
今日はユーロ流通初日である。イタリアでは、「エウロ」と発音する。成田空港でユーロの現金とトラベラーズチェックに両替してきた。
市内に向かうバスに乗ろうとするのだが、切符の自動販売機はない。ニューススタンドで買わなければならないようだが、午後9時には閉まっている。聞いてみると、車内でも買うことができるようだ。中央駅に直行する直通パスは、1時間に1本しかない。ずいぶんまたされてやっと乗り込んだが、、5ユーロ札を出すと、釣りがないのか、値段がわからないのか「金はいらない」と運転士は言って、乗せてくれた。他にも、「お金がない」という客は、ただで乗せていたようだ。なんといういい加減な。何のためにキップを求めてさまよったのか、さっぱりわけがわからない。
ミラノ中央駅 20分ほどでバスは中央駅へ。到着が遅くなるのが分かっていたので、最初の宿は日本で予約しておいた。地図を頼りに探すが、なかなか見つからない。きょう1日飛行機飯しか食べていないので、ちょっと小腹がすいた。しかしおそらく、普通の店ではユーロは使えないだろう。駅前にマクドナルドがあるので、そこに入ってみる。
ユーロを出すと、さすがにシステム対応しているらしく、とまどいつつも、ちゃんユーロでお釣りをくれた。ホテルの通りを店員に聞いて、午後10時、すぐ裏にあったホテルにチェックインする。日本から7000円で取った安宿である。ミラノの駅前には、旅行者向けのホテルがいっぱいあって便利だ。さすがイタリアの商都である。パソコンの接続を試みる。アクセスポイントはミラノ市内である。問題なくアクセスできる。よかったよかった。
この日のイタリアのテレビを見ていると、トップニュースは、まずユーロの使用開始。次にローマ法王のメッセージ、その次がアフガニスタンの情勢についてであった。
【イタリアでは、ユーロの流通は1/3とかからだったみたい】