午後5時。2時間でボローニャに着く。さて、宿がない。インフォメーションもどこにあるのかわからない。困った困った。
ポローニャ駅の出入り口の正面に、インフォメーションが作られていて、女性が2人並んでいる。そこに行って「ホテルはどこで調べられるか」と聞くと、国鉄のインフォメーションを指さして「あそこでわかるんじゃないの」という。どう見てもそれは国鉄のインフォメーションなので、「確かか?」と念押しすると、「かもね」との返事。かなりいいかげんである。
彼女は、ユーロについてのインフォメーションなのである。しかし、私が着いた時にまだこのインフォメーションは準備中で、ユーロの札をペタペタ張り付けているという状態。つまり、年が明けるまでイタリアではユーロ導入についてほとんど情報も浸透していなかったし、コインや札の配布すら進んでいなかったということなのである。こんなことで本当に大丈夫なのだろうかと思わずにはいられない。
いろいろ訊ねると、ツーリストインフォメーションは、ユーロスターの乗り場に近い方にあった。以前は、活字体「i」のマークのインフォメーションに行けば何でもこと足りたが、最近は、昔の「i」マークのインフォメーションは国鉄のインフォメーションになって、ツーリストインフォメーションは小文字筆記体の「i」マークに統一されているようだ。
女の子が1人座っている。「ホテルを紹介してくれるのか」と聞くと、ホテルリストを渡され、「ホテルの予約センターに電話しろ。ここは市内の8割のホテルの値段を把握している」と言うので、「じゃあそのセンターに電話するとホテルが安くなるのか」と聞くと、全然そうではないらしい。ということは自分でホテルを探して電話すればよいわけだ。
タバッキでテレホンカード買って、電話ボックスで適当にホテルを選ぶ。観光のことを考えると、市内の中心の方がよいだろう。そこでもらったホテルリストの地図を見て、なるべく市内のど真ん中にある2つ星ホテル……ホテルマルコポーロを予約する。タクシーに乗ってホテルに向かう。タクシーの運転手も、あまりユーロを持っていないらしい。値段を聞くと手持ちのリラで何とかなりそうだ。タクシーはどんどん走ってホテルについた。ガソリンスタンドに併設されている2階建てのアメリカンタイプのホテルである。ボローニャの市内なのかな?
フロントのオヤジに聞いてみると、「そうさなぁ市内に出るにはタクシーで20分くらいかかるね」といわれる。全然話が違う。どうしてこういう間違いが起こったかというと、ホテルリストのホテルの所在地を示す地図番号の色文字を私が見間違えたのである。疲れたが、「もう面倒くさいからいいや」と思って、食事もこのホテルですることにする。
しかしここのオヤジはなかなかの面白い人で、「市内観光はどこに行けばいいんだ」と聞くといろいろと教えてくれた。
まずいかなければならないのは、市内の中心のマッジョーレ広場である。ここには、中世の建築物がそのまま残っている。この街の歴史は、教皇と神聖ローマ帝国の権力争いをそのまま反映している。ここにある広場は正面から見ると、左右対称ではないらしい。それは教会を建てる教皇側に対抗する皇帝側が、教会の建設予定地を買収してしまったために左右非対象の建物になってしまったのだそうだ。
ボローニャの景観を代表する隣合って建つ97mと47mの2つの塔、その内の片方はものすごい斜塔だが、これは自分たちの権勢を示すために12世紀に建築競争を行った結果である。片方の塔は建てているうちにどんどん傾いたので放棄されてしまった。
またこの街は、世界最古の大学を持つことでも知られている。フランスとこの町の最初の戦争は、ソルボンヌとボローニャ大学の戦争であったとオヤジは言う。遺物として面白いのは、世界最初の解剖が行われた手術台だそうだ。中世では死んだらすぐに埋葬してしまうのが当然なので、解剖を行うというのは画期的なことだった。「面白い、どこに行けば見られるんだ」と聞くと、「考古学博物館があるからそこに行けば見られる」との返事。
その他、感情表現がなかった中世から、新しい美術様式の境目となった、キリストの死を人々が驚き嘆く表情を見事に表した彫刻がある教会とか、「時代が違う3つの教会が並んでいるのを1カ所から見渡すことができる美しい広場があるからそこにも行け」と勧められる。
このオヤジは、日本にも来たことがあるという。
「行ったのは京都と東京、それからどこだったかなぁトーキョーの近くの中村とかいうところだよ」
「中村というのは聞いたこことがないなあ」
「ほらほらの大きな仏像がある」
「それは鎌倉だね」
8時になったらレストランが開いたので、オヤジに飯を見繕ってもらう。パスタはトルテローニという。ワインはサンジョバンニ・ローマニャ。どちらもたいしてうまくない。