ホテルでタクシーを呼んでもらって、駅に向かう。「ユーロで大丈夫か」と聞くと、「昨日外国人の客が何人かいたから大丈夫だ」と運転手。
駅でトランクを預ける。預かり所には警官がいて、いちいちトランクを開けて中を見せなければならない。ユーロスターイタリア専用の窓口に行って、ローマ行きのユーロスターの座席を予約する。ユーロで支払いをすると、お釣りがないらしく、係のおじさんは両替のためにどこかへ雲隠れしてしまって、待たされることになってしまった。まだ駅ですら、ユーロの流通がないということである。
ボローニャの駅の壁には、1980年8月2日に爆弾テロによって命を落とした20人の人たちの名前が刻まれている。その中に1人日本人の名前がある。当時20歳の早稲田大学の学生だった人だ。私が入学する3年前のことである。
身軽になったので、これで観光ができる。また昨日のツーリストインフォメーションに行っておばさんに「地図をくれ」というと「イン・イングリッシュ」と言われるから、「だから地図をくれと言ってるんだ」と繰り返しても、「イングリッシュで」というので、今度はバカ丁寧に「私は英語で地図をくれと言っているんだ」というと、英語とフランス語とドイツ語とイタリア語の地図を出してきて「どれにするのか」と聞かれる。「英語で話してるんだから英語の地図をさっさと出せばいいじゃないか」と思うのだが、「こういう奴は仕方がない」と『慮る力』の筆者は思うのだった。
どうやら、マッジョーレ広場に行くには、駅前からひたすら一本道を歩けば良いらしい。白い息を吐きながら、ひたすらどんどん歩いていく。
ポルティコ
この街はアーケード(ポルティコ)が美しい街として知られている。ギネスブックにも、世界で一番長いアーケードとして認定されているそうだ。なぜアーケードが発達したかというと、建物の敷地に税金がかけられたため、上の階を張り出すようにして建物がつくられ、ひさしの部分をアーケードとした建物が増えてきて、結局それを法制化して街中がアーケードだらけになったということらしい。ボールド形式の美しいアーケードを伝い歩きながら20分ほど歩くと、目指すマッジョーレ広場に着いた。朝まだきなので人気がない。
ヨーロッパは、広場の文化である。広場を中心にして街ができる。広場には町の最も重要な建物が集まっている。この広場を取り囲んでいるのは、12世紀から15世紀にかけてつくられた建物だ。まさに中世そのままのたたずまいである。
聖ペトロニオ大聖堂は1390年にフィレンツェに対する勝利を祝って建てられ始めたものであるが、今に至るまで完成していない。実に巨大な教会である。その隣に13世紀から15世紀かけて建てられたコムナーレ宮殿というのがある。右側の部分は図書館になっている。図書館の入り口には、第二次世界大戦の時にナチスに対するレジスタンスで亡くなった人たちの顔写真が何百枚も張り出されている。
マッジョーレ広場 人気のない広場とはつまらないものである。教会の脇の美しいアーケードを歩きながら、聖ステファノ教会群のある広場を目指す。このへんはファッションブランドなど高級品を扱うを店が多いらしく、飾り付けなども気がきいていて歩いていて気持ちがいい。地図を見ながらショートカットして、路地を抜けて広場にたどり着く。聖ステファノ教会群が面するこの石畳の広場は、古い建物に囲まれて、ちょうどいい大きさの非常に美しい広場である。
教会に入る前に、旅行代理店を見つけたので、ここで今日行くローマのホテルを予約することにしよう。店に入ると2階に通される。2階では初老の紳士が電話をしている。電話が終わるのを待って、ローマのポポロ門の近くにある宿が取れないかと相談する。おじさんは、「私が電話すると手数料が13ユーロかかるがいいかと」ひつこいくらいに念を押し、さらに代理店に電話をして宿をとってくれた。いささか高いが、ローマについてから時間があるかどうかわからないので、しかたがないだろう。この2階の窓から見る広場の景色はさらに美しい。それに静かだ。「いい眺めだね」というと、「ここはボローニャで一番の場所だ」と威張っている。でも、実際そうかもしれない。
聖ステファノ教会群 いよいよ聖ステファノ教会群に入ってみる。正面から見ると3つの建物が並んでいるように見える。おのおのレンガ造りで、ファサードは整備されていない。レンガがそのまま剥き出しになっている。
一番右側の建物から入る。ここは礼拝堂になっている。その隣の円形の建物は、なんと驚くべきことに3世紀に建築されたものである。中心には中世の十字架がでんと鎮座している。そしてその左に立っている建物も、3世紀、ローマ時代に建築されたものである。バジリカ形式の教科書のような建物である。床にはローマ時代の古いモザイクが一部分残っている。この最も古い建物を中心にして、増築増築を重ねてこの教会はできてきたらしい。
歴史の重みに圧倒されつつ、教会を後にする。