サンタマリア・デラ・ヴィータ教会 聖ステファノ教会群からやや広場の方に戻る。このあたりは街の中心で、土産物屋や肉屋など商店が密集しており大変な賑わいである。サンタマリア・デラ・ヴィータ教会を訪れる。主な祭壇の右側に、キリストの臨終を描いた彫刻群がある。非常に貧相で弱々しいキリストの遺体を囲んで、7人の聖人たちが泣きわめいたり悩んだりしかめ面をしたりしている様を、非常に表情豊かに形作っている。実にダイナミックな感情表現である。制作年代は15世紀の後半らしい。「中世からルネサンスに移行するエポックとなった彫刻群だ」と、宿のオヤジは言っていた。
また広場に戻ってきて、エンツォ宮というのに入ってみる。エンツォはフレデリック2世の息子である。13世紀中頃にボローニャの市民は合戦でフレデリック2世に勝ち、息子のエンツォを捉えてきて一生この建物中に幽閉してしまった。それでこの名前になったのだそうだ。宮殿の中では美術館があって、展覧会が開かれていて、キリストだの聖人だのが描かれた中世の宗教画がごっそり展示されていたが、時間がないので適当に駆け足で見る。
そこの受付のお姉さんに聞いて、聖ペトロニオ大聖堂の横丁にある考古学博物館に行ってみる。大変立派な建物の中に、ギリシャ時代やエジプトの遺跡、遺物、美術品などかなりのコレクションがあるのに驚いた。広場にあるネプチューンの噴水に乗っかっているネプチューン像のオリジナルもここにあった。しかし、ボローニャ大学の解剖学の手術台らしきものは、まるっきりなかった。
受付のお姉さんに聞こうかとも思ったが、英語ができないようなのであきらめた。後で調べると、この建物自体が16世紀から1903年まで大学に使われていた建物で、手術台があるのはこの博物館の並びだった。さっき通った時に気づいていたのだが、「アナトミー・シアター」という名前なので「シアター」に「階段教室」という意味があると知らなかった私は見逃してしまったのだった。
ホテルのおじさんはいい人なのだが、思いこみで話す傾向があるようだ。この後も、いろいろな人に道を聞いたり、時間を聞いたりしたが、その都度親切に教えてはくれるものの決して正確な情報とは言い難かった。このあたり、その場を丸く収めることをを良しとして、親切ごかしに何でも教えてくれる関西人の姿勢に近いものがあるかもしれない。悪意がないのは分かるのだが、自分が知らないことは「分からない」と言ってくれた方が、旅人にとってはありがたいことの方が多い。
時間がない。今度は広場を抜けて、街のシンボルである2つの塔の方に歩いていく。広場から3ブロックくらいしか離れていない。これらの隣り合った2つの中世の塔は、その高さと、窓がない形状で、いわくいいがたい重苦しい印象を与えている。まさに中世の閉塞を表しているかのようだ。
最初に作られたのは、高さ47m、あまりに傾いたので途中で放棄せざるを得なかったほうの塔で、1120年に建設が始まった。この街では人々が権勢の強さを証明するために、競って高い塔を立てたのだそうだ。中世らしいことだ。基底部に近づいてみると、恐ろしく傾いているのがよくわかる。現在でも継続的にメンテナンスをしなければ倒れる危険があるらしい。その隣にアシネッリの塔が建っている。高さ97mを498段の階段で登ることができる。登ってみたい気がするが、時間がない。塔の回りを1周して、この場をおさらばする。
昼飯だ。ポローニャに来たからは、まともな飯を食べないわけにはいかない。街の中心のちゃんとしたリストランテを探す。意外と捜すと見つからないものである。やがて一軒見つけて、飛び込んでみる。比較的小さな感じの良い店である。みんなちゃんとジャケットを着ているので、ちょっと心苦しいが、旅行者なので許してくれるだろう。トマトが好きなもんで、「トマトソースのスパゲティを」と頼む。
白ワインを注いでくれる。スパゲッティは、滅茶苦茶うまい。食べてよかった。素晴らしい味だ。日本円で2000円程度だったと思うが、その価値は十分過ぎるほどある。急いで勘定を済ませて、駅に戻り、トランクを請け出して、ローマ行きのユーロスターに乗り込む。13:48発。