10時起床。さすがに眠い。とにかくチェックアウトして、スペイン広場へ。この時間でも、観光客が屯している。スペイン広場の前にあるベルニーニの作った舟形の噴水は、私は大好きだ。これを見やりながら、BARによってエスプレッソをぐいっと飲み、地下鉄の駅へ。
今日はこれから、エウルにあるローマ文明博物館へ行くのだ。今回のローマ訪問の最大の目的は、これである。「ここへ行くにはどこで地下鉄を降りればいいのか」とホテルのフロントで聞くと、エウルパラスポートで降りて、そこから坂を登れ」と言われたので、素直にそのとおりにすることにした。
地下鉄の車内は、何の宣伝かは分からないのだが何かの公共広告だろう、両手が欠損している人や、全身が湿疹に覆われた人の写真がいっぱい貼ってある。こういうのは、鏡像段階にある子供に対しては非常に大きなショックを与えるものだと思うのだが、平気なのだろうか。こういうところの基準は、よくわからないものがある。
地下鉄駅を降りると、ムッソリーニがつくった人工都市エウルである。役所や放送局、スタジアムなどが集まっている。とにかく広い。それでもって、地図も何もない。自分がどこにいるのかすらわからない。なんという不親切なところだ。
とにかく歩き始めたが、腹が減ったのでBARによってサンドウィッチを焼いてもらう。それをむしゃむしゃ食べながら、とにかくどんどん歩いていく。通りの名前は全て、ヨーロッパの芸術家の名前がつけられている。エウルを端から端まで歩いて、やっと特徴のあるローマ文明博物館のエンタシスの柱が目に入ってくる。前回もここまで来たのだが、クリスマスて休みだった。そういうのは電話をして確かめればいいと思うかもしれないが、ガイガイドブックを持っていないので、番号が分からないし、思いつきで歩いているのでそういうことを考えつかないのだ。自分でもあまり賢いとも思えない。
4.13ユーロでチケットを買うが、全然英語が通じない。ユーロがいくらなのか3人がかりで電卓で計算するのにずいぶん時間がかかっている。チケットブースに入っているのは3人のオバチャンたちであるが、まともな公務員には到底見えない。彼らはこの、擬古典的な神殿風の空間には似つかわしい人種ではない。上着を預かってくれるような気配もない。おそらく現代では、このローマ史の宝庫ともいえる博物館の位置づけは、せいぜいこのようなものなのだろう。
この博物館はムッソリーニ時代、ファシスト支配の権威付けをローマ帝国に求め、そのルーツをきちんと整理しようという意図でつくられたもの。彼らはローマ式の敬礼を初めとして、さまざまな権威付けを過去に求めた。しかしそれも当然で、ローマの支配はあまりにも輝かしく、ヨーロッパ文明はその多くの部分をローマに求めることができるといっても過言ではない。
ここには、そのローマの王政時代、共和政時代、帝政時代の時代別の支配者の彫像や、物品、精巧なミニチュア模型などが集められており、展観することができる。これらはすべてレプリカである。レプリカではあるが、1カ所で見ることができるので、実に便利といえる。
例えばローマには7つの丘があるのだが、現代では家が建ち並んでいてよくわからない。ここに来ればミニチュアの模型によってその様子をよく理解することができる。ローマお得意の土木事業の模型、なかんずくカエサルが使った攻城兵器や、ハドリアヌスのヴィラのようなローマ帝国の記念碑的な建築物のありし日の姿も復元されている。それにカエサルやアウグストゥス、五賢帝をはじめとする歴代の皇帝、キケロやポンペイウス、アグリッパなど脇役の彫像が並んでいるので、一度にローマをつくった主役たちの顔を拝めるという次第である。非常に楽しい空間であるといえるだろう。