今回はコロッセオ側から入場するが、こちら側の入り口から入るのは初めてだ。ティトウスの凱旋門が近づいてくると、古代ローマの英雄の世界に徐々に足を踏み入れる心持ちがして、疲れや眠気から来る気だるさを忘れ、心が弾んでくる。
凱旋門を越えると、市役所まで見通しがきいて、眼下にフォロロマーノが広がる。もともと湿地帯だったここは、幸いなことにローマが没落して以後泥がたまり、保存されてきた。めぼしい建物はキリスト教会に塗り替えられたが、それ以外の神殿などは泥中に埋まったまま18世紀末に掘り返されるのを待つことになったのである。それはまったく人類にとって僥倖であったといえるだろう。
フォロロマーノでは、世界各地から来た旅行者たちが、おのおの自国の言葉で、自分たちの持ってる知識の範囲で、この偉大な地を踏みしめた感慨を語り合っている(のだと思う)。
彼らは、世界中から凱旋パレードを迎えたであろう「聖なる道」を踏みしめながら歩いている。彼らには沿道から歓声と花束を投げかけるローマ市民の姿は見えていなかもしれない。しかし2000年前には、ここはそのような華やかな空間だったのである。支える屋根を失ってむなしく青空に屹立しているコリント式の柱の数々を、想像力の力で延長すれば、ここは先の模型で見たローマの中心になる。そして得意満面のカエサルや、彼に柱の陰から冷ややかな視線を投げ掛けるキケロの姿が見えてくるかもしれない。
2001年9月11日のアメリカでのテロでは、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンの国防総省が破壊された。その2つが、イスラム原理主義者にとってみれば彼らの神に対する涜神の中心であると考えられたからである。しかし私は内心、本当の彼らの敵は、このフォロロマーノであったのではないかと思っている。
神を措定しつつも人類を神の支配から解き放ち、「自らを治めるのは自らである」という考え方を限界まで突き詰めて、それによって当時の人類の持つ力を最大化することができたのは、ローマ人だった。だからこそローマは偉大だったと私は考えている。それはこの地で行われたことだ。
神ではなく、自分の力を信ずればこそ、人は自分の潜在能力を発揮できるのではないだろうか。そしてそのためにこそ、文化が重要な力を持つのである。
カエサルの荼毘の跡を見て、復元された元老院をちょっとのぞいて、カピトリーノの丘に登る。
ミケランジェロが設計した広場の真ん中に、マルクスアウレリウス帝の騎馬像が堂々と置いてある。しかしいつも思うのだが、像の大きさとに比べると、台の大きさが小さいような気がする。
……などと考えつつ、階段を降りて、サン・アンドレア・デラ・ヴァッレ教会へ向かう。ここはオペラ「トスカ」の第一幕の舞台である。11年前に来たときに見たのだが、ゼフィレッリの演出の舞台と内装を比較したいと思ってちょっと覗いてみたいと思った。
途中でジェラートを買ってペロペロなめながら歩く。しかし教会は昼のミサが終わったら夕方まで閉めてしまうことを忘れていた。残念だが今回はあきらめるしかない。ここから「トスカ」第二幕のファルネーゼ宮まではせいぜい200mぐらいの距離しかない。それが分かっただけでも、私には非常に興味深い。
教会の前でタクシーを拾い、ホテルに向かう。タクシーは狭い石畳のほとんど歩行者天国のような道を、歩行者をかき分けながら進むので、乗っていて非常に歩行者の皆さんに申し訳ないような気がする。ホテルについてトランクをピックアップし、テルミニ駅へ向かう。
ナポリに向かうインターシティに飛び乗ろうと思っていたのである。相変わらず切符売り場では長蛇の列が続いている。イタリアに来ていつもも信じられないのは、切符を買うために恐ろしく並ばなければならないということである。今回私はユーレールパスを買ってきたので、並ばずにすむから「電車の時間ぎりぎりでもいいや」と思っているのだが、そうでなければ切符を買うまでに1時間近く並ぶことも珍しくはない。
「やれやれ」と思ってホームに行くと、電車は「40分の遅刻」という表示が出ている。結局どっちにしてもいい加減な国である。