皇帝の景観 ティベリウスの別荘は標高336mの丘のてっぺんにある。ここから1時間の上り道だと聞く。私も今日は登山のつもりでやってきたので全然構わない。覚悟を決めて登り始める。
といっても、最初のうちは別荘地の中である。道は両手を広げれば届くほどの細さで曲がりくねっていて、車が通ることはできない。交通や運搬の手段は、築地の魚市場で使われているターレットのようなトレーラーで、軟弱な連中は5人ぐらいが荷台に乗っかって坂を上っていく。道は入り組んでいるので、方向感覚がさっぱりわからない。二股で人をつかまえては「ヴィラ・ティベリオはどちらか」と聞きながらどんどん元気に歩いていく。
そのうちに畑が見え始め、ヴィラという表示が曲がり角ごとに見えてきたのでそれを頼りに歩いていく。坂道は急ではなく、景色もいいので楽しんで歩ける。苦痛を感じず退屈しない道である。40分の快適な上りで、やがて周囲に別荘がなくなり、行く手の丘の上に松林に囲まれた巨大な遺跡が見えてくる。これがティベリウスのヴィラである。正確にヴィラ・ヨヴイス(=ゼウス)という。
ティベリウスは人嫌いだったので、ローマを離れここから帝国に号令した。キリストが磔になったのはティベリウスの時代なのので、ヨーロッパではかなり人気がなかった皇帝のようだが、堅実な治世を行った。シネマスコープ初期の作品である「聖衣」で、このティベリウスの別荘のセットが登場する。入場料は2.07ユーロ。それにただのA4コピーの英文の解説書きが1ユーロである。
入場料を払って階段を数段昇ると、視界が開けて海が見える。
真下は断崖絶壁である。断崖の岩肌には松や灌木が茂っており、はるか下には海鳥が群れて飛翔している。思わず腹の底から笑いが起こってくる。あまりにも雄大な、まさに皇帝の景観である。ここに立ってみると、なぜここにティベリウスがヴィラを建てたのかよくわかる気がする。ここは眺めのよいカプリの中でも絶好佳景の地である。この半島の先端に立つと、両面に海を見下ろすことができる。視界の半分を眼下に見える海が占め、真ん中に長い長い水平線があって、それより上は青空の天蓋が覆っている。この伸び伸びとした眺めを邪魔するものは、正面にわだかまているソレント半島以外にはない。しかしこの半島の山肌には人工物は何もない。まったく何もないのだ。ここにいれば、目に入るものは海と空ばかりなのである。人嫌いだったティベリウスがこの地を好んq@
理由はこの辺にあったのではないだろうか。
建物はアウグストゥスの時代に建てられ、ティベリウスが完成させた。2世紀まで皇帝の別荘として使用されたようだ。外壁はほとんど崩れているので、往時の外観を想像することはできない。7000平方メートルが発掘されているという。建物の内部は、広間、浴室、皇帝の居住区、奴隷の居住区、やたら大きい貯水施設などに分かれている。壮大な土木建築である。床を注意して見ると当時のモザイクも一部残っている。ここに数千人の奴隷にかしづかれたティベリウス帝が住んでいて、帝国中から情報を集め、決定を下し、皇帝の意思はまた330m下の港まで降りていき、船で帝国を各地に伝えられたのだろう。そう考えると大変面白い遺跡である。
遺跡の中では犬が何匹か遊んでいた。遺跡のてっぺんで、スイス人と日本人女性のカップルに会った。スイス人は、「この別荘は皇帝の夏の別荘だったと思うよ」とデタラメを言っている。まあ幸せそうなので放っておこう。
下方は岬の先端の影。絶景。 眺めを堪能したので、また元来た道を取って返してどんどん降りてくる。途中で違う道に分け入ったが、こっちの方だろうと見当をつけて、やっぱり最初にスタートした広場に降りてくる。下りは30分程度かかったと思う。一息ついて、ジェラートをなめる。3時になったら、ツアーのバスがスタートする。10分ほどで、麓の港まで降りていく。港で帰りの高速船の切符を買って乗り込む。