フォロから望むヴェスヴィオス 1時15分、やっと切符を買って遺跡に入る。マスターカードを担保に、イヤホンガイドを借りる。3ユーロ。
ポンペイはよく知られている通り、紀元79年に、ヴェスヴィオス火山の噴火で溶岩に飲み込まれ、都市として放棄されてしまったローマの都市である。その後長く忘れられていたが、18世紀に入って偶然発見され、ナポリ王の下で科学的な発掘が行われた。その結果として、われわれは当時の人々がどのような生活をしていたかということを知ることができる。
ポンペイが素晴らしいのは、遺跡として一部が残っているわけではなく、町がそのまま残っているということだ。だからわれわれは、当時の人々が都市にどのような機能が必要であると考え、住居にどのような機能を求めていたのか、またどのような暮らしぶりをしていたのかを、等身大の大きさで知ることができる。我々自身のライフスタイルとの比較が可能なのだ。
もちろんわれわれの認識としては、人間というのはいつまでたってもやっていることは相変わらず、同じような事を繰り返しているものだと考えている。
「時代がたてばたつほど、人間の考え方や行動は進化していくだろう」というのは単なる思い込みでしかないと認識しているかどうかは、まともに話し合える大人であるかどうかの境目であるということは、以前にもこのサイトで述べたと思う。
いくら技術の発達があったとしても、人間の行動のサイクルは変わらないということは、何となく実感できるが、社会構造や空間としての街、あるいは街の機能そのものについて、2000年前の過去と、現代を視覚的に比較することができるような場所というのは地球上にも数少ない。ポンペイはその数少ない貴重な場所のひとつである(他に、ナポリの北方にローマの貴族階級の別荘地だったエルコラーノが、やはりこの時の噴火で埋もれていて、発掘されている)。
人々がポンペイに押しかけておもしろがっているのも、その暮らしぶりが自分たちのものとさほど変わらず、技術は未発達でも、生活に必要とされる機能を満たすようにさまざまな工夫がなされている、その工夫に面白みを感じる部分が多いのである。
例えば、多くの人がすぐ関心を持つのが公共の水道である。町の辻つじに水道のがあって、だれでも水を飲むことができるようになっていた。ただし、水道管が鉛でできていたため、鉛毒に苦しむ人が多かったようだ。
また、道路は石畳であるが、そこには馬車が走っていた。馬車の車輪の幅に合わせ、すき間を作った石が道に置いてあり、通行人はこの石をつたって道を渡った。つまり古代の横断歩道ということである。
しかしこれで驚かされるのは、つまりこの横断歩道の幅に合うように馬車の車軸の幅が規格化されていたということである。ISOである。ローマから来た馬車でもポンペイを走ることができたはずである。おそらく当時の馬車の車軸の幅は統一されていたのだろう。多くの人が集合して生活を機能的に行うためには、規格化が要請されるわけだ。理に適っている。