街の中心には、やはり広場があり、ここはフォロロマーノと同様で、神殿がありバジリカがあり裁判所があり、役所があり、やっちゃ場があり、町の運営に必要な機能が集約されていた。
そこから少し離れたところに、公共の劇場や競技場、ギムナジウムなどが置かれている。競技場は、当時の有力者2人の寄附により作られたものである。そうした公共施設の回りを民家が囲んでいる。ローマ人が好んだ浴場も何カ所かある。道路は規矩正しく配置され、しっかりした都市計画が行われていたことがわかる。
民家の構造にしても、広間を中心として寝室が配置され、美しい中庭があり、貧富の差によって、また商売をしているかどうかという違いによって、生活空間の配置や在り方が全く違うことが非常によくわかる。裕福な家の中には、壁に描かれた極彩色の絵がそのまま残っているところもあり、それらは主にギリシャの神々をモチーフにしたものであるが、彼らの価値観や生活感の一端の理解を助ける。道に面した部屋を、食事や酒を提供する空間にしたり、商店にしている家も多く、おそらくみんなその日の仕事が終わった後にこの様なところでいっぱい引っかけて帰ったんだろうなと想像させる。そう考えれば街が賑わう様がイメージできる。
膨大な数の埋蔵物、土器などに交じって、死者の人型の展示がある。これは、発掘を進めていくうちにいくつか変な空洞が開いていて、「この穴は何だろう」と考えているうちに、発掘者ははたと思い当り、石こうを流して形をとったものである。
この遺跡を歩く旅行者たちは、古代の空間に遊ぶ面白さを各人各様に感じているようだ。
団体で移動している人たちも多い。日本人観光客の姿もかなり多い。またしてもダイヤモンド社のMさんに会った。だいたいナポリに泊まっていると、同じようなコースを観光するということだろう。彼女のグループは、人懐っこい犬を連れていた。遺跡には必ず犬がいるようだ。
ピッティ家 アレクサンドロス大王のモザイク画が発見された邸宅も見た。かなりの大邸宅である。その隣のブロックに、ピッティ家という家がある。解放奴隷出身の商人の家なのだが、かなり保存状態がよい。ほぼ完璧だ。
極彩色の壁画をしっかりと見ることができる。特に有名なのが、ある部屋の中にある天使たちの絵である。この小さな天使たちはおのおのいろいろな仕事をしているのだが、この仕事はすべてこの家が行っている事業なのである。
ここの寝室に書かれていた壁画を見て思い出したのだが、そういえばサイト中に娼婦の館があると書いてあった。いったいどこなんだろう。警備員のお兄さんに「ハウス・オヴ・プロスティテュートはどこだ?」と訊いても通じない。困ったなと思ったが、「ラ・トラヴィアータ」と言うと、「ああ、それは38番だよ」と教えてくれた。
日が暮れかかっているので急いで行ってみる。いろいろ迷ったあげくやっと見つけた38番は、ただのパン屋であった。あほらしい。パン屋には大きな竈があり、ここでつくられたパンが人々の胃袋を満たしていたことがわかる。