5000人の収容能力があったという劇場は、極めて保存状態がよい。観客席は3つに分かれており、有力者の席、市民の席、奴隷の席と舞台に近い方から分けられていたようである。ローマ特有の色大理石が鮮やかに使われている。ここではギリシア悲劇が上演されていたようだ。
もう暗くなってきた。とても4時間程度で回り切れるものではない。もう一度来てみたいものだ。遺跡は5時に閉まるというので、5時10分遺跡を出て駅の方に歩く。5時39分発の電車でナポリに戻る。
パレルモ行きの電車は10時半発なので、かなり時間がある。駅前の広場はかなり大きいのだが、ここをぐるりと1周してみる。かなりの寒さなのだが、この寒い中みんな街角のバールでエスプレッソ片手にしゃべっている。街頭に出された椅子に腰掛けている人もかなり多い。この国の人たちはかなり喋るのが好きだ。かなり理解に苦しむ(「かなり」をかなり多用してみました)。
7時過ぎに広場を囲むリストランテの一軒に入る。ウエイターがかなり陽気な人たちで、雰囲気だけでも楽しい。
飽きずにトマトソースのシーフードスパゲッティと、モッツアレラチーズとカットハムとトマトが入ったピザを頼む。ややおとなしい味である。ハウスワインは酸味があって私の好みである。1.5リットル飲んでしまう。ドルチェでケーキを頼んだが、中に入っているクルミが非常にうまい。
このリストランテは家族で利用している人が多く、よちよち歩きの非常にかわいい子供がテーブルの間を歩き回って愛敬を振りまいていて微笑ましかった。テレビをつけていたのだが、イタリアのテレビの娯楽番組というのはどれを見ても裸に近いお姉ちゃんが出てきて、クイズをやったり歌を歌ったりというものばかり。全部同じに見える。あとは吹き替えの映画である。漫画は、トッポジージョをやっているのを見た。考えてみれば、これはイタリア製である。クイズ番組を見ていても、賞金の金額はリラが先で、ユーロは申し訳程度に後で表示されていた。まだ人の頭の中が入れ替わっていないのだ。2カ月間でユーロへの転換を終える予定だというが、ホントに大丈夫なのだろうか。よけいなお世話ではあるが。
パレルモ行きのインターシティに乗り込む。初めて電車の中で一夜を過ごす。クシェットは3段ずつ2列の6人が蚕棚で寝るようになっていて、私のコンパートメントには4人がいた。上の段を確保。どうも暑いなあと思いつつ、ワインの酔いもあって爆睡する。
列車は走ったり止まったりを繰り返しつつ進んでいく。途中で目を覚まして外に出てみると、海が見える。海沿いを走っているので当たり前であるが、シチリアは島なので、電車はフェリーに積み替え、私が寝ている間に海を渡ったはずである。