そういうよしなしごとを考えながら、迷いつつ自転車で街を走ると、徐々に土地勘ができてくる。港町なので坂道ばかりだが、なだらかな坂道で函館のように急な道はない。パレルモはシチリア最大の町だけあって(人口50万人)、街の中心部には立派な建物が建ち並び、街も大きく広がっている。
街の中心には美しい劇場が2つある。そのうちのひとつが、マッシモ劇場というオペラ座で、これが「ゴッドファーザーPART3」のクライマックスの舞台となったところである。正面はギリシャ風なので、ちょっと見はワシントンのホワイトハウスを黄色く塗ったような印象を与える。ラストシーンでドン・コルレオーネの娘が射殺される劇場入り口の階段には、植木鉢に植えられた花がぎっしりとじゅうたんのように敷き詰められていてた。
どうやらパレルモ市民のたいそうご自慢の劇場らしい。ぐるりと自転車で1周して事務所に行って聞いてみるが、今日明日はオペラはやっていないらしい。
そのすぐ近くにツーリストインフォメーションがあった。交番のようなボックスで、愛敬のある建物である。地図をもらいに立ち寄って、いったい何を見るべきかと訊ねると、3人の女の子たちが親切に教えてくれた。王宮の礼拝堂と教会、カタコンベ辺りが見どころらしい。
礼を言ってオペラ座の広場に面したカフェ・オペラで昼飯を食べる。アランチーニ2個と赤ワインを頼んでテラスへ。アランチーニはご飯の中にチーズや肉を包んで揚げた食べ物である。日本人だととても考えつかない取り合わせである。まあ熱いうちであれば旨いといえなくもない、地元だし。
ふたたび自転車に飛び乗って、酔っ払い運転で教えられた通りの道を走っていく。劇場からの道とビットリオエマヌエーレ通りが交差するところにクワトロ・カンティ(フォンターネ)がある。辻のおのおのの角に華麗な装飾を施した噴水を作るというものである。4つの建物正面は誠に立派なものだ。ローマにもこれと全く同じコンセプトのものがあるが、こんなに立派なものではない。ただし噴水の角のサン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会の内部は一見の価値あり。
そこからビットリオエマヌエーレ通りを多少上ると、カテドラル(大聖堂)がある。中味は大したことはないのだが、外面は非常に美しい。ファサードはイスラム様式、双頭の鷲、怪獣彫刻などが不思議な調和を醸し出しており、ギリシア、アラブ、ビザンチン、ノルマン、スペイン王家、ハプスブルグ家、ブルボン家というこの島の支配の歴史を彷彿させるものがある。教会のキューポラからはシャンデリアがぶら下がっていた。1860年にガリバルディが赤服の1000人隊を連れて上陸してシチリアをイタリア王国に統一したのは、ヴィスコンティの「山猫」に描かれている通り。
それからさらに山手の方に自転車で上ると、王宮がある。必見の王宮礼拝堂は午前中しか開いていないので今日は見ることができない。そこでカタコンベを目指すことにする。
ビットリオエマヌエーレ通りは王宮の横にある立派な門をくぐっているのだが、この門は車2台がすれ違うのがやっとの幅しかない。門を通るための渋滞ができているのに、そこを自転車で通るのはなかなか怖い。途中で一番良い地図をなくしてしまったので、勘を頼りにカタコンベを探すのだが、なかなか見つからない。1時間近くあちこち探し、王宮の前のインフォメーションにも行ってみて訊くのだが不親切でなかなか要領を得ない。
一般の住宅街に足を踏み入れてみると、あちらこちらの辻にマリアを祭った祠があり、きれいにに飾られたり電飾されたり供物を捧げられたりしている。この島の人々は非常に信心深く、信仰が生活の一部としてしっかり溶け込んでいるようだ。
「もうこれで見つからなかったらあきらめよう」と思っていたときに、偶然通りの名前を発見し欣喜雀躍、「おお、ここだ」とどんどん進んでカタコンベにたどり着く。このカタコンベは小さな教会に併設されていて、教会の脇から地下に入る構造になっている。1.5ユーロ。
地下に降りていくと、おびただしい数のミイラに驚かされる。ローマのアッピア街道沿いにあるカタコンベは、ただの地下の洞穴で、その中で隠れキリシタンがローマ帝国の迫害を逃れて祈ったり、死者を埋葬したりしていた場所だが、このカタコンベは普通に死んだ人をミイラ化しているものなのだそうだ。旅行代理店の兄ちゃんに聞いた話で、うろ覚えだが、ここの教会に祭られている聖人にあやかるためだったような気がする。だから最初はこの教会の檀家だけで行われていたミイラ化の風習だが、のちに檀家以外のパレルモの富裕層にもそれが広がったそうだ。
その結果として私の目の前に行儀よく並んでいる数千体のミイラができあがったということである。ミイラは壁に沿って作られたニッチの中に、生前と同じ服装して収められている。生後1年に満たないような幼児や、6歳ぐらいの子供のものもある。また100年程度前のものだが異様に保存保存状態がよく、生前と同じような肌のつやを持っているものもある。
これも、この島の人たちの宗教観の一端なのだろう。