ドゥカーレ宮探訪は、嘆きの橋側の二階にある元首の部屋から始まる。意外と小さく目立たないが、非常に豪華な内装である。この宮殿の部屋は、天井と壁面が画でほとんどが覆い尽くされていて、それはそれは豪華なものだ。それも、ティツアーノ、ティントレットといったベネチア派の巨匠たちが腕を振るったもので、それがこれでもかというくらい延々と続く。ものすごいものだ。
一度火事にあっているので、大体内装は1500年代以降の装飾らしい。圧巻は、レパントの海戦の大壁画だ。大変な迫力で、キリスト世界のイスラムに対する大勝利を描いている。
ベネチアを訪れた各国の使節を迎える部屋は、壁画ではなく大きな世界地図が壁面を覆い、部屋の真ん中に2つの大きな地球儀が据え付けられていて、てかてかの油絵を使っていないにもかかわらず華麗な印象を与える。東地中海を支配した商人国家の誇りと存立基盤を雄弁に語っている。他の部屋では、巨匠たちがサンマルコの獅子を競作して描いている。ぜいたくの限りである。
元老院の間は、意外なことにどの絵にもキリストの姿が描かれていて、共和国に対するキリストの加護を願っている。だが実際に元首に加護を与えているのは、マリアであり、ギリシャ神話の神々である。共和国のキリスト教に対する微妙な姿勢が反映されたものなのではないだろうか。
その裏側にある十人委員会の間を見ることができたのは感激だった。最初は、14世紀に起きた反乱事件の処理と、それに続く治安回復を目的とした国家警察の管理組織だったが、徐々に実権を持ち寡頭政の根城になった。実際のベネチア共和国の意思決定を行ったのはこの部屋に集った選ばれた17人(元首と補佐官6人を含む)の男たちだったのだ。ベネチア共和国が生き長らえた秘訣は、寡頭政と共和政をうまく混交させたことにある(一応国会議員は世襲制だったけど)。この部屋は隠されていて、隣の部屋のライオンの彫刻の口の中にある鍵を開けて入るようになっていたらしい。今はそのライオンは取り去られており、痕跡が残っているにすぎない。その先には狭い通路があり、そこを通り抜けて最も重要な決定が行われるこの部屋にやっと入ることができる。
ベネチア人は情報をうまく使った。情報の大切さを知っているということは、秘密の重要性も知っているということだった。こんな子供染みた仕掛けを作るのも、実際にそれを機能させるだけの文化水準を持っていたからである。十人委員会は、秘密組織として実際に機能したのである。これはすごいことだと思う。ここに描かれている天井画は、元首に対して富の寓意像である女神が降臨して、何かを与えてくれている絵柄ばかりである。
嘆きの橋を渡って、隣にある牢獄へ。意外と衛生状態に配慮された、最初の近代的な牢獄ということなのだそうだ。
そしてまた中庭に戻ってくる。中庭は、サンマルコ寺院の裏に面している。これもおそらく、何か融通がきく仕掛けが作られているに違いない。サンマルコ寺院は元首の礼拝堂で、バチカンとは関係がないというから恐れ入る。この宮殿で、ベネチア共和国の栄光と富を永続させるためのいくつものドラマがあった。現代のわれわれでも考えつきもしないような国際的な謀略や諜報戦の司令部だったのである。今も残る室内の華麗な装飾を見ていると、その裏側に悪知恵の限りがあったであろうと想像できる。実に興味深い文化的遺産ということができるだろう。