メトロポリタンオペラ.2
このオペラが、膨大な寄付によって支えられていることは、ロビーのそこかしこに明記されている。全観客は、入り口でこの建物をつくるために多大な貢献をしたロックフェラーなどの名前を刻んだ碑文を目にすることになる。また、各階には「この階をつくるにあたっての寄付者」の名前が示されており、毎年の寄付者については、名前を印字した巨大な本がシャガールの前に置かれており、閲覧することができる。閲覧などする必要はないが、寄付者にとってみれば「私がMETを支えているんだ」という何よりの証になる。また、各階で対訳の冊子やCDを売っているのは、例外なく初老の人々だ。ボランティアなのであろう。彼らにしてみても、METという素晴らしい価値に自分を関係づけられることは、大きな喜びに違いない。
舞台装置は、まさに世界最高の水準である。舞台と同じスペースが左右と奥に用意され、ここに装置を組んでおいて一瞬のうちに入れ替えることが可能である。そればかりか舞台ごと上昇・下降させる巨大なセリがあり、これが演出にフルに生かされている。究極の多面舞台である。私が見たトスカの第3幕では、ローマのサンタンジェロ城屋上の処刑場とその階下の牢獄が、セット全体がせりあがり、下降するという演出がなされていて、ゼフィレッリのまったく見事としか言い様のないセット美術と相まって劇的な効果を高めていた。
さて、私が持っているのは190ドルのPARTERRE(2階桟敷席)28番の1、つまり舞台ど真正面の最高の座席なのである。大股で階段を上がり、正装した片腕のない有色人種の係員に扉を開けてもらって、あいている真ん前の座席に腰掛けると同時に指揮棒が振り下ろされた。今日のMETは私のために上演されるのだと錯覚してしまう、まさに最高の気分だ。
演目は「ヘンゼルとグレーテル」。指揮ANDREW DAVIS 主演DAWN UPSHAW クリスマスお子さま向けの軽いオペラである。英語のオペラなど初めて見た。字幕装置が理解を助けてくれる。しかし内容的には、森の中でさまよって魔女にとらえられたが、機転を利かせて魔女を焼き殺すという、考えてみると残酷な少女の話である。殺らなきゃ殺られる。幼いときから自助努力の精神をたたき込む、アングロサクソンの心底をかいま見る気がする。ん、元はドイツの話か?
METの凄さは、豪華な出演者もともかく、その演出にあると私は思う。この舞台も、天使や魔女が何人も当たり前に空中を飛び交うなど、観客を驚かせ、心から楽しませる数々の素晴らしい仕掛けが取り入れられていた。
ここで考えるのは、アメリカになぜこれほどの文化的集積が可能かという事である。METの歴史は100年。各国から最高の才能が集まって、素晴らしい舞台が日替わりで運営されている。要するに全部外人なのだ。才能を集めるのは富なのである。富は、碑文に名前を残す富豪たちが供出するばかりでなく、多くのボランティアの人たちがその一翼を担っている。このオペラはNPOなので政府からの援助はないものの、社会的に支えられているのだ。集めた才能と資源を組織する、マネジメントの才能も必要である。そして毎晩4000の座席が全部埋まる。世界中から観客が集まる。ここにもまた、日本が持たない何物かがあると私は思う。
あるいは逆にこうも言える。価値あるものを作り出すためには「知」が必要である。「知」は、戦略的に無駄なく集め、活かされねばならない。そのためには、何を価値あるものとするかというコンセンサスづくりが不可欠である。これはまさに政策的なものかもしれない。知を集めるべき目標物さえ設定できれば、そこに多くの資源を集中して投下するべきである。
オペラは、欧州では普遍的な文化的価値とされている。だからアメリカでもコンセンサスづくりは容易だった。優れたものは、このようにしてつくられるものなのである。必要なのは「知」であり、それを集めて活かすため技術なのだ。