アーリントン墓地
到着口には、畏友、手塚宏之氏が出迎えていてくれた。握手を交わし、彼の車に乗り込み、まず今夜のホテルに向かう。ホワイトハウスに直近のホテルワシントン。ゴッドファーザーで、議会公聴会に呼ばれたマイケル・コルレオーネ一家が泊まっていたホテルだ。
部屋に荷物をおいて、車でワシントンを回る。議会→リンカーン記念堂、ホワイトハウス→ジェファーソン記念堂を結ぶ線がワシントン記念塔で交わり、その周囲を政府機関、国際機関、大使館、報道機関、弁護士事務所、ロビイスト事務所が取り囲んでいる。建築の高さが制限されているので、NYと違って空の見える街だ。
この街はパリに近い。しかし、パリの都市計画はルーブルからアルシュに向かう長大な一直線でフランスの国威と国家の意志を表現しているように感じるが、ワシントンは国会とモール、ホワイトハウスとジェファーソン記念堂の十字型で「民主主義」、とまではいかなくても、少なくとも権力の分割と相互監視を表現している。
200年前の都市計画が、現在にも通用しているというのは、日本人の感覚では理解しがたいことであろう。余裕さえ取っていればよいというものでもあるまいし、その辺の感覚にはわれわれの理解を超えたものがある。
ポトマック川をわたって、アーリントン墓地の駐車場に乗り入れる。ここから墓地の中を歩いていくと、ほどなくケネディの墓に至る。彼の隣には94年に死んだジャクリーヌが埋葬されている。じゃあ、オナシスの立場は? 訪れる人みなが同じ感想を言う。ジャクリーヌもさぞかし耳が痛いだろうし、もっとかわいそうなのはケネディである。
頭をめぐらせると、ワシントン記念塔や議会を見おろす側に、半円形に彼の就任演説の全文が刻まれている。
MY FELLOW AMERICANS, ASK NOT WHAT YOUR COUNTORY CAN DO FOR YOU. ASK WHAT YOU CAN DO FOR YOUR COUNTORY.
これこそすべての日本人が急速に失いつつある精神である。アメリカでは、多少なりともメディアを通してこうした精神に触れる機会があるが、(つまりメディアは表向きだけでもこうした精神を堅持し、表現の基礎としているが)、わが国ではこうした公徳心が論調の基礎をなすことはない。つまり公に尽くすということが、価値として社会的に認められていないのである。日本では、教科書が教えていないのは歴史だけではないのだ。
しばし歩みを進めて、さらに奥の院、アメリカの聖所へと向かう。無名戦士の墓である。静寂の中、墓を守る陸軍の衛兵の軍靴の音のみが廟堂の大理石の壁に反響している。
この国の標榜する自由と人権は、軍隊の規律とは相容れないものだ。しかし、自由と人権を守るために、アメリカは中東の砂漠に50万人の兵隊を送り込む力を持っている。そのような国家はこの国しかない。そしてこの無名戦士の墓は、国家というよりは国家が守るべき理念のために死んだ人々の努力を、永久に、国家的に讃えるための装置なのである。それは価値として承認されている。彼らの死に敬意を払うために、墓は生きた人間によって守られていなければならない。戦争がコンピュータで行われることになる日が来るとしても、この墓を守るために陸軍は採用を続けるだろう。
「たとえもし戦場で斃れることになったとしても、国家がよって立つところの理念を守るための死は決して無駄なものではない」ということを、目に見える形で担保しているのが、無名戦士の墓であり、アーリントン墓地全体なのである。