手塚邸
4時15分、TAXIで手塚氏の事務所に移動。車に乗り換えて、手塚家へ向かう。途中、MACLEANのSUTTON PLACE GOURMETという高級食材店で、生ガキやシャンペンを買う。私は手塚氏の奥さんに花束を買う。花束を束ねる店員はきわめて不器用な手つきだが、どの店員も不気味なくらいに愛想がいい。また品揃えも恐ろしいほど豊富だ。見たこともない食材がいっぱいある。酒のコーナーでは、日本酒も当たり前のように並んでいた。
5時30分手塚家着。6時、INSTITUTE FOR DEFENSE ANALYSESのMICHEL GREEN氏が来る。初対面だ。彼は日本の大学に留学していて、一時岩手日報の政治記者となり、その後数年椎名素夫議員の秘書をつとめ帰国した。「日米安保の見直し」という言葉、概念を発案したのは彼である。2年かけて、防衛庁と日米安保の再定義を行うにあたって、中心的な役割を果たした。今後10年間の日米関係に重大な影響を与えた人物だ。8月より、COUNCIL ON FORIGN RELATIONSに移籍。
やや遅れてPACIFICA CORPORATION社長のSETH R.SULKIN氏、彼のパートナーである有馬佳子氏、PACIFICAのNY駐在員で、たまたまワシントンに来ていたSさんが到着。有馬さんとは、2年半前、彼女が帰国中にお目にかかり、初対面にも関わらず「行政腐敗の元凶である大蔵省をいかにやっつけるか」2日がかりで激論を交わした。当時は、今とは違って大蔵省悪玉論など陰も形もない時代だった。時代は変われば変わるものである。彼女は外交官でワシントンにいたのだが、辞めてワシントンに残った。
SETH SULKIN氏は、一時ウォールストリート・ジャーナル特派員として東京にいた。現在、商社である PACIFICA CORPORATIONを設立して、アメリカの商品で日本の小売業向けに輸出できそうなものを発掘している業容拡大のため、明日引っ越しをするという。
MICHEL GREEN氏とSETH R.SULKIN氏は、日本専門家として屈指の人々である。日本語も完璧だ。帰国後、「ニュースステーション」インタビューされているのを見て、私は初めてMICHEL GREEN氏が英語を喋っているのを聞いた。
申し訳ないことに、またしても私は「日本がいかにダメであるか、改革を必要としているか」を語ることになってしまった。私が出した「今どき日本が世界に誇れるものはあるか」という話題に全員沈黙するが、ペルーの人質事件と、駐日大使は誰になるかという話題で盛り上がって、0時15分、楽しい会食はお開きになった。
シャワーを浴びて1時就寝。