グリニッジ・ビレッジ
腹がくちくなって、さあ少し飲みに行こうか、車番の若者にチップを渡して車に乗り込み、近くのリバー・カフェに向かうがあいにく貸し切りパーティーをやっている。またブルックリン橋を渡ってマンハッタン側に。活気に溢れるイタリア人街、中国人街を車で回る。中国人街は勢力拡張中らしく、イタリア人街をずいぶん蚕食し、その外にも縄張りを広げつつある。ニューヨーク大学を横目で見てワシントンスクエアを回り、ソーホーを通ってグリニッジ・ビレッジにやってきた。
10時、BLUE NOTEの正面の駐車場に車を入れて、S氏は金を下ろしに銀行に走る。同じ目的の人たちで、現金自動支払機は大繁盛だ。懐が暖かくなって、どこか面白そうな店はないかと3人でうろつく。カウント・ダウンはこのあたりの店でやったという夫妻は、日本人駐在員としては相当にアクティブな部類だ。日本に帰りたいなどとは、露とも思っていない様子である。
角地の店で、立って飲んでいるほど繁盛している店がある、と思ったらゲイパーティーだ。結構この街でははやっているらしい。結局55BARという店に腰を落ちつけ、ロックの生演奏を楽しむ。出演料はただでやっているのだそうだ。でも演奏は耐えられないレベルではない。こういう店で修行してから、BLUE NOTEのような店に出世していくのだそうだ。S夫妻は、日本びいきであるここの店の主人とも懇意らしく、勘定はいらないと言われていた。しょうがないので、適当に計算して20ドル渡し、次にいい演奏のある日を聞いて店を出る。
駐車料金はかなり高く、東京を超える。11時45分、この時間になっても週末は人の往来が絶えない。グリニッジ・ビレッジはにぎやかな街である。
車に乗って、S家に向かう。なんとK氏の家の隣の駅であった。0時30分到着。2階建ての一軒家かと思ったら、反対側に入り口があって、階下には別の人が住んでいるのだそうだ。シャワーを浴びてから、もうすこし飲もうということになる。得体の知れぬペルーの酒。
さすがに疲れた。3時就寝。