11月26日
疲れ切って午前中の授業を休み、DAVID ASHERに英文のEメールを書くが、送るときによりによってフリーズしてしまい、手紙は消えてしまった。情けない。マークス寿子さんに電話して会いに行く約束をする。
午後から3時間授業に出る。授業終了後、ロンドン・ブリッジ駅経由でロンドンへ。ここからだとバンクまで1駅だ。知らなかった。
今日はやっと一人になれた。嬉しい。学校では必ずクラスメートに「今日はどこに行くの?」と聞かれて、何か特定のものに行くと答えると「俺も連れて行け」と絶対言われるのだ。一人でいるのが好きな私には全く理解できないことだ。おそらく彼らは、一人でいるとどういう顔をして良いのか分からないのではないだろうか。
ホントは今日もDARIOに「連れて行け」と言われていたのだが、午前中学校に行かなかったので会わずに済み、貴重な孤独の時間を得たのだ。しかしまた明日会ったら「なぜ誘わなかったのか」と聞かれるだろう。勘弁してほしい。ギミア・ブレイク。
おまけに明日はNAOKOとフェルナンドを「レミゼ」連れていかなければならない。一人にうっかり洩らすと雪だるま式に増えるのだ。まったくかなわん。一人のほうがいい席を取ることができるのに、いい加減にしてほしいものだ。自己防衛策を考えなければ……とくだらないことを考えつつ、ロンドン・シンフォニーを聴こうとバービカンセンターに行って、元気よく「学割の席を」というと"SOLD OUT"の表示を指さしてリターン・チケットの列に並べと言われる。むべなるかな。
並んでいる人は「今日席がなかったら、明日も来る」などと話している。係員に「£30の席ならあるよ」といわれたので、私ともう一人の日本人が列から離れる。バービカンセンターはシティの中心に近いので、会社帰りの日本人金融関係者が非常に多い。とにかく切符を入手した。
サー・コリン・デーヴィス指揮の、シベリウス・チクルスの2日目である。曲目は6番、7番とヴァイオリン協奏曲というお得なセット。しかもソリストはアンネ・ゾフィー・ムターなのだ。彼女の演奏は、2年前にストックホルムでフランクのソナタをきいた。ノーベル賞の授賞式が行われるコンサート・ホールの大ホールを満席にしていたが、今日も大入りの満員だ。
デーヴィスの指揮は誠に流麗で結構だが、基本のテンポをゆっくりにして、盛り上がるところだけテンポを極端に早めている。おまけに舞台下手に席が位置しているので、チェロの壁に遮られて木管がさっぱり聞こえない。というわけで、彼のシベリウスは「本歌を知らなければさっぱり面白くない替え歌」といった印象を与えるのは残念至極だ。私は6番は初めて聞いたので、まるで訳が分からなかった。
アンネ・ゾフィー・ムターは素晴らしい。彼女は相変わらずの浪花節で、全く好きなようにテンポや強弱を変えて演奏しているが、そこはデーヴィスが一歩ゆずって、しっかりした伴奏をしており、全く久しぶりに協奏曲らしい協奏曲の演奏を聴くことができ大いに楽しめた。
第1楽章の冒頭は極端に音量を絞り、嫋々たるバィオリンの伴奏にソロがそっと載せられるといった風情で演奏が始まり、そこからまったく奔放なカデンツァに聴衆を引き込んでいく。第2楽章は低い音色で統一しちょっと違った印象を与え、またしても第3楽章で超絶技巧の限りを尽くした後で、実にあっさりと、なんの未練もなく全曲を締めくくった。ムターはまったく自分自身のシベリウスを創造してしまっている。これはライブでは非常に楽しめるが、録音するのはちょっとためらわれるだろう。
ストラデバリウスの音色は実に素晴らしい。これはやはり生でなければ味わえない楽しみだ。
中休みの間に、後ろに座っていた日本人をつかまえて、感想を聞く。野村証券に勤めている○○氏だ。バイオリンを弾くという。ムターのバイオリンは、もっとも微弱な音でも非常に太く聞こえると言う。
帰路、いろいろ話を聞くと、あちこち聴き歩いているらしい。かなりな好き者である。先週「オテロ」に行ったそうだ。「○○副社長を知っているか」と聞くとオテロの切符は彼からもらったという。「では明日○○さんに電話するので、昨日こんなのに会ったと伝えてくれ」と頼んでバービカンの駅で別れる。
地下鉄に乗ってロンドン・ブリッジ駅に向かうが、駅のすぐ手前で停車して20分ほど閉じこめられ、ドアが開かなくなったので他の車両から脱出する。なんかアナウンスしているがよく分からない。この国の交通機関だけはさっぱり当てにならない。11:15帰宅。