12月2日
朝起きたら、うっすらと雪が降っている。大変珍しいことなのだそうだ。
Cクラスに呼ばれて、日本の教育制度について質問される。「生徒は先生が教室に入ってきたら、一斉に立っておじぎするのか」と聞かれて「そうだよ」と答えたら驚いていた。
授業終了後、グリニッジ見物のソーシャルプログラムに参加する。
30人程度の大部隊だが、日本人は私しかいない。案内はロベルタで、すごくいい人で好きなのだが、ロンドン・ブリッジでホームを間違えて、30分近く立ちんぼうをして大変寒い思いをした。
月曜から入学したというコロンビア人のミゲルが話しかけてくる。大卒でエンジニアになったが、ボスがコロコロと10人も変わったので嫌気がさして辞め、1月からは電力会社に勤めるそうだ。彼はかなりしっかりした発音で話すのだが、表現がへんなところがいっぱいあって、そのアンバランスが実に滑稽である。例えばwhenとwhereを平気で間違えたりするのでかなり面食らう。
電車が悪天候のため、ときどき止まりながら走っているので、「ひどいだろう、これがイギリスの国鉄だよ」というと、「へえ、鉄道に乗ったのは初めてなので、こんなものかと思っていた。コロンビアには鉄道はないからね」と言われた。コロンビアで鉄道があったら、ゲリラの格好の餌食なのだそうだ。
グリニッジはロンドン・ブリッジから2駅で滅茶苦茶近い。学校前のバス停からバスで15分なのに、なぜ遠回りして時間を無駄にしたのか理解できない。天気は最悪で、みぞれ混じりの雨の中をぞろぞろ歩く。土日は賑わうマーケットも、がらんどうで間抜けだ。テームズ河に近づくと、乾ドックの中に保存されているカティー・サークが見えてくる。1869年就航、1938年に退役し、57年からここに置かれている。中に入れるが、見るほどのものはないとのロベルタの説明。
ぞろぞろ歩いて海軍大学をかすめ(チャーチルはここを卒業したはずだ。劣等生だったがイギリスを救った)、広大なグリニッジパークの丘の上にあるグリニッジ天文台(OLD ROYAL OBSERVATION)へ。
西半球と東半球を分けている子午線はここにある。みんなこの0度の線をまたいで写真を撮っている。
古い方の建物はFLAMSTEED HOUSEといって、WRENがデザインした。ここでは、いろいろな時計を見ることができる。とりわけ面白いのは、船舶搭載用の時計で、18世紀の中頃には、揺れに影響されない、かなり精巧な時計ができていたことが分かる。これでイギリスは7つの海を支配した。一般的な懐中時計のルーツもこれである。さらに鉄道の発達により、時計の需要は増大した。科学技術の発達によって「国際標準時を決めよう、子午線を定めよう」という要望が高まり、1800年代の初めからグリニッジで国際会議が開かれて19世紀中にこれらが制定されたようだ。
大きな方の建物は、天文台としてのグリニッジの歴史を紹介しており、さまざまな天体望遠鏡や観測器具を見ることができる。1675年以来王室天文学者が任命されここで活躍しており、ハレー彗星のハレーはその2代目であった。建物自体が17~19世紀の天文観測所であり、特に0度の線に沿って設置されている望遠鏡の上部は手動で屋根を開いて観測できるようになっており面白い。本物であるだけに、天文学のルーツを実感できる展示である。
天文台自体は町が明るくなったので1948年にサセックスに移り、王室天文学者はケンブリッジに移った。
外は真っ暗で、雪が降っている。公園前のパブでスコッチを一杯飲んで、駅までぞろぞろ歩く。ANDRESとロンドン・ブリッジ近くのシェークスピアが通ったというパブTHE GEORGEか、THE ANCHORに行こうと話すが、ロベルタに聞いても場所を知らないというので諦める。ロンドン・ブリッジ駅でみんなと別れてMARBLE ARCHEのケンタッキーで飯を食べ、「CHICAGO」を見ようと劇場に行くが、学割どころか全席売り切れだと言われる。入れなかったのは初めてだ。こりゃクリスマスシーズンは厳しいのかも。
近くのDUCHESS THEATREという小さな劇場でやっている「SCISSOR HAPPY」という芝居の切符を買う。学割で£12.50。前から4列目中央の席だし、開演30分前でだれも客がいないので驚いたが、開演前には7割の入りになった。
この芝居は心理学者がつくったというのだが、なかなか面白い。SCISSOR HAPPYという美容室で、ホモの男と女性従業員が働いている。そこに変な男の客が2人と、初老の婦人が客としてやってくる。2階のピアニストのピアノがうるさい。従業員2人と客の男性が、何かの用事をつくって客席から消える。そしてこの間に2階のピアニストが殺されていたという事が分かる。ここまではなん変哲もない芝居で眠くなる。さて、刑事がやってくる。登場人物は締めて6人である。客の一人は「何かが起こる」という匿名の手紙を受けて派遣されたクロイドンに住んでいるという警官であった。
変な男の客の片方に嫌疑が掛かる。
刑事は客席に向かって「では犯行があったときの店内の様子を再現するので、何か違っているところがあったら手を挙げて指摘してくれ」と客席に向かって呼びかける。なんとインタラクティブ演劇なのである。俄然おもしろくなる。客席からはかなり活発に舞台の演者に注文を付ける指摘がなされ、これを刑事が捌いていく。
ここで幕間になるが、刑事だけが舞台を去り、残りの5人は舞台に残って演技を続けている。観客は幕間の彼らの行動も監視し続けている。2幕目になって、今度は刑事が「観客からの質問を受け付ける」という。役者の説明の台詞だけで疑わしい細部について、どんどん質問が浴びせられるが、疎漏なくそれに答える小道具が出てくる。
一番すごかったのは私の隣に座っていた女性が「初老の婦人が電話をかけた、彼女は自宅にかけてバトラーと話したといっているが、それは事実なのか」と質問したのに対して、刑事が婦人のバックから名刺を取り出して「彼女は夫がよく引っ越しをするので、いつも夫の名刺を見て電話を掛けると言っている。では舞台に上がって、この電話番号に電話をかけてみて下さい」と答えたものだ。実際、この女性は舞台に上がって電話してみると、バトラーなる某が通話口に出て話をしたようである。あらゆる客の質問パターンを分析して、それに対する答えを用意しているのだ。虚構の世界と思っていたものが、まったくしっかり裏付けを持ったものとして立ち上がってくるのが面白い
客席からの質問がとぎれたところで、「最後に3人のうちの誰が犯人だと思うか、みなさんに投票していただきます」といって挙手をさせる。一番疑われたのは変な男の客であった。突然ここで、刑事と警官が2階に消え、ピアニストの部屋からテープを発見してくる。「彼女は賢い。このテープに彼女は犯人の名前を録音していたようだ。早速かけてみよう」と刑事。すると変な男が「わたしがこういう理由で彼女を殺したんだ」と自白する。これは面白くもなんともない話である。しかし、刑事がテープをかけてみると「喫煙は健康に有害です。でもこのテープを聴けばあなたも禁煙することができます……」という禁煙テープであった。
で、刑事が舞台の前に出てきて、「今日の投票では男が犯人という人が一番多かったので彼が犯人であったが、もしあなたが別の日に来れば、ホモ従業員への投票が多かろうと、女性従業員への投票が多かろうと、我々はどちらにでも対処できるシナリオを持っている」というのがオチである。
パブ「ザ・ウェリントン」でビールを一杯引っかけて、チャリングクロス発10:22の電車で帰る。