まずこの年最初のイベントはB&B有志による出版だった。私も結語を50枚ほど書かされた。この本は夏前に出版された。
2月に経済誌「NEXT」の山一特集の余波をかぶって木谷氏が秋田支店に速攻で飛ばされた(その後退社して帰京、今ではマスコミにしばしば取り上げられるベンチャー企業の青年社長になっているが)。これ以後のB&Bの運営はすべて私の肩に掛かってくることになった。
5月にコロンビア大学ビジネススクールのスタディ・トリップがやってきて、日本の若者と交流したいというので、受け入れ先になることを決定。まず英語のできるMBAを持つ人材を補強した。この過程で、また素晴らしい友人たちを得ることができた。軍資金を50万円ほど某企業に出させて、周到に準備した。
5/9、コロンビア大学の40人に対してB&Bメンバー65人が原則として英語で、日米のビジネス慣行の違いについて4時間の討論を行い、二次会、三次会(六本木で3コース)の面倒までみてやった。この様子は日経産業新聞、経営塾などで報道された。また、詳細な報告書も作成した。
この頃になると、いかに取材モノばかりとはいえ、隔月で40ページの冊子を作るというのは私にとっては赤子の手をひねるより簡単なことになっていた。
印象的だったのは東京オリンピックの時の体操選手で"チェコの名華"と讃えられたヴェラ・チャスラフスカの取材だった。日曜日に家で寝ていると長田渚左氏から「今日チャスラフスカが神田の三省堂でサイン会をするのでインタビューしに行こう」と電話が入った。「無茶言うなあ」と思いながらもチャスラフスカなら読者のおじさんたちは喜ぶだろうと計算しつつ、カメラマンに電話し三省堂へ。長田氏はサインの列に並んで本人と交渉しインタビューの約束をとりつけてしまった。凄い人だ。彼女から学んだことは数多い。
6月にはローマに旅行。一週間滞在して街を歩き回った。かなりいろいろ本を読んで、歴史や建築の視点からこの古都を楽しんだ。ローマは世界の中でも特別な街だと思う。
風向きが明らかに変わり始めたのは秋からだ。いままで緩やかだった流れがにわかに急湍に変じた。流れは自分で変えようと思って変えらるものではないと断言できる。この秋以降の変化は、すべて友人たちが運んできてくれたものだ。新しい情報、新しい人脈が爆発的に増え、それを糧にしてまたレベルの高いイベントを行い、それがまた友人たちの結束を固め新しい人脈を呼び込むという好循環が、1993年の6月まで続いた。まさに黄金期だった。この時期の私は、翼が生えて空を飛んでいたと思う。
12月はパーティーラッシュで、ほぼ毎日のようにパーティーや飲み会を渡り歩いていた。あまりにも有益な12月だった。