12/23 ローマ
それからベネチア広場を横切って勘を頼りに歩きパンテオンへ。ちょっと高いと思いつつ横のジェラート屋でL5000で買い、パンテオン正面のベルニーニの噴水(以前来たときは修理中で見られなかった)を見ながら食べる。
彼もまた偉大な天才の一人である。彼の意匠の奇抜さ、ユーモラスさ、審美性はバロック彫刻家の中でも群を抜いている。この街のあちこちで彼の彫刻を見ることができるというのがローマの楽しみの一つになっている。
噴水で手を洗ってパンテオンへ。
この建物は2世紀前半に建てられた直径43メートルの球体がすっぽり収まる大ドームである。天井に9メートルある天窓が開いている。ファサードはギリシャ神殿式で、16本の円柱がこれを支え、正面に「3度コンスルになれるアグリッパこれを建てる」と書いてある。床の細工張り大理石も素晴らしい。コンスタンチヌス帝もここで演説したことだろう。まったく何という凄いものが残っているのだろうか。
この中にあるビットリオ・エマヌエーレ2世とラファエロの墓に詣でる。そこからまた途中にある教会を冷やかしつつ、適当に歩いてナボナ広場へ。
ローマ時代の競技場のトラックの後がそのまま円形に残った程良い大きさの広場である。そして中央にベルニーニの天才の造形「四大河の泉」がある。飽かずに眺める。今日はこの広場に露店やメリーゴーランドが出ている。ナボナ教会は前回は映画のロケをやっていて入れなかったので、初めて入ってみる。壁龕にキリストや使徒の行跡を表したバロックの彫刻がある。
5:30、ナボナ広場を出てトレビの泉に行こうと考えたが、歩くのがもういやなのでバスに乗る。するとティベレ河を渡ってとんでもないところに連れて行かれてしまった。そこからトリムに乗ると、さらに訳の分からないところへ行ってしまう。仕方ないので同じトリムで引き返して、オッタビアーノ・サンピエトロの駅に戻ってくる。地下鉄に乗り込んだが、考えてみればCONCILIAZIONEホールには、ここから歩いた方が早いことに気がつき地上に出る。時刻は6:30分。てくてく歩いて、6:55、サンピエトロ寺院の手前にあるコンチリアチオーネ通りのホールに着く。
切符売り場に行くと、おばちゃんが黙って切符を差し出してくる。どうやら自分のキップを売ってくれるらしい。ありがたくL50000で購入する。クロークに皮ジャンを預ける。L1500。以前来たときは気が付かなかったが、なかなか立派なホールである。二階席はなく、一階が延々と延びている。座席は中央全部のかなりいい席だ。
演目は聖チェチーリア管弦楽団、指揮ジュゼッペ・シノポリで、ベートーベンの大作「ミサ・ソレムニス」である。このオケはイタリア一のオーケストラだ。5年前に来たときにはショパンのピアノ協奏曲とベートーベンか何かをやっていたが、かなり疲れていたせいもあってあまりぱっとした印象はなかった。その時の指揮はアルド・チェッカートという人で、今から18年前、N響のドサ回りで初めてオーケストラを聴いたときの(「新世界」だった)指揮者だった。
それでまあ、さして期待せずに座席に座ったのだが、オケは素晴らしい音を出している。それから合唱団も見事な力量を持っている。シノポリは相変わらず癖のある解釈で、ややこしい表現を演奏者に要求していたが、みんなそれによく応えて、ベートーベンが意図した荘重な神聖をよく表現していた。
3日間の演奏の最終日だったのだが、どうやらクリスマス前は普段と違う集中力が発揮されるようだ。ソリストは、テノールが何かの都合で、黒人歌手のジェームズ・ワーグナーに代わっていた。後の人は知らないが、METで活躍している人が多いようだ。観客はもちろんきちんとドレスアップしてきていた。しかしクリスマスなので、熱烈な拍手を送る客と、早く帰ろうとする客がいて好対照を為していた。
キリスト教の中心地で「ミサ・ソレムニス」を聞くのも面白い経験だなあと思いつつ、9:30、CONCILIAZIONE通りを5分ほど歩いてバチカン広場へ。この広場もベルニーニの大傑作である。サンピエトロ寺院のファサードの両端は、2000年の聖年に向けて修理中のようだ。
楕円形の広場の中央の、カリグラ帝の競技場から移動されてきたオベリスクの隣に電飾された巨大なクリスマスツリーが立っており、その脇にテントのような建物が建っている。なんなんだこれは。広場ではバイオリンでクリスマスソングを弾いている4から5人のグループがいた。静かである。法王庁の建物で広場の中央に突き出しているように立っている部分の最上部の窓に聖母子象の絵があり、そこにスポットライトが当たっている。これには今まで気が付かなかった。
広場を後にしてバス乗り場から64番のバスに乗ってサン・ジョルジョ・マジョーレ教会の南辺りの通りで降りる。この辺で飯を食べようと思ったのだ。しかしなかなかよさそうな店が見あたらないなあと探していると、「ホテルを探しているんだが、この道はどこへ行くんだ」と訊ねてきた男がいる。この男こそ誰あろう、5年前に私を引っかけた詐欺師その男なのである。
「今日、ジュネーブから着いたところだ。お前はローマに住んでいないのか? へーえ」。何が「ジュネーブから来た」だ馬鹿野郎。復讐してやりたいのだが、とにかく疲れて腹が減っている。何を考えているのかはっきり分かっているので、相手にするのもアホらしく、「飯を食うんだ」と言って適当に振り切る。
カードを使えることを確認してからピッツエリア兼リストランテの席に座る。自家製オードブルとラザニアと子牛のステーキとバローロを頼む。「ベン・ハー」の音楽がかかっている。当地では「ベン・フール」という。イタリア人はやはりローマ史劇を好むらしく、朝からやっているチャンネルもある。それもちょっと勘弁だが、「ベン・ハー」は28日の月曜に放送するよと番組宣伝をやっていた。「ベン・ハー」はやはりローマ史劇の頂点である。
料理が運ばれてきた。食べてみるとまずい。イタリアに来て初めてはずれに当たった。しかも客あしらいも悪い。食べ終わる前に次の皿が来る。食べながら詐欺師のことを考えていた。いまや、ひどいイタリア訛りやおかしな点がはっきり分かる。くやしいなあと思いつつ勘定をするとL70000もする(バローロを頼んだからだが)。
思わず腹が立って「お前のところはまずい」と言う。一瞬店の空気が凍っていた。日本人も味覚を持っていることを教えてやらなければ。
バスに乗って帰ろうと若い女性とバス停で待っていたが、なかなか来ない。彼女は「テルミニに行きたいが、歩いていくのは危ない」という。「じゃあ僕が現金を降ろしてきてTAXIで送ってあげるからここで待っていろ」と行ってCDの方向に歩き出す。しばらく歩くとさっきの詐欺師と会ったので「ハーイ、マイフレンド」といってにこにこしながら握手する。
「ホテルは見つけたが、飲みに行く店を探してるんだ」とほざいている。うそをつけ、ずっとこの通りでカモを狙ってくせに。いろいろ質問すると、スイスの会社で経済分析の仕事をしているという。年は45歳だとか。嘘で固めた大馬鹿野郎である。じっくりいたぶってやりたいのだが、さっきの彼女もいるので早々に「今から5年前、ジュネーブから来たという男にこの辺で誘われて、トレビの泉に近い店に飲みに行ったんだよね」。男の目に動揺が現れる。
「へえー、どんな顔をした男だい?」などととぼけている。私は男にぐっと近づいて睨み付けながら、「その男はあんたに非常によく似た男でね。そしてその店ではシャンペンをどんどん抜いていたんだが、それは本物のシャンペンではなかった。そして私とその男は、L百万ずつ払ったんだ。お前これについてどう思っているんだ」と言って男の肩を突き飛ばし、すたすたCDの方に歩き出した。背後からは「このクソ野郎」とののしる声が聞こえてきた。
CDで金を下ろしてバス停に向かおうとするが、バスが通過した。TAXIを広いバス停の前を通ると女性はいなかったので、多分バスに乗ったのだろうと思い、ホテルに戻る。電源の接続が悪いので苦労しつつパソコンに写真を入力する。1:30就寝。暑くてよく眠れない。