12/26 シエナ
シエナは 銀行業中心に発達した街で、13世紀にその繁栄の頂点を迎えた。この町を共同で統治したのが、9人の君主であるというのも面白い。しかし1300年代にペストで人口の4/5が死滅し、15世紀にはメディチ家の支配が確立した。しかし元はローマの植民都市だったので、市の紋章はローマのコンセルヴァトーリ博物館にある、オオカミから乳をもらうロムルスとレムスの像のコピーであるというのがなんとも健気だ。この意匠は町のあちこちで目にすることが出来る。
町並みはルネサンス以来、14世紀の建物が多く、赤煉瓦に赤瓦葺き、つまり町中が赤いのである。そして道の敷石だけが黒い。完璧な中世の町である。市役所の前は煉瓦敷きの広場になっていて、この広場が9人の君主ごとに等分されている。
市役所は14世紀初期のゴチック建築で、1階が市役所として使用されている。2階は美術館になっている。L8000払って入る。大きな広間があり、年代もテーマもよく分からない絵が掛かっているがこれは前座で、奥に進むと14世紀の巨大な聖母子像を中心としたフレスコがが残っている。
さらにその奥は、この町を治めた君主達の会議室で、1つの壁面に「悪い治世」を描き、2つの壁面に「よい治世」を描いたフレスコ画があり、これが実によく中世の商店や町の様子を伝える資料となっていて興味深い。
他にこれといったもののない美術館を出て、今度は高さ102mある市役所の塔に上る。L5000。「20分以内に降りてこい」と書いてある。ひと一人が通るのがやっとの階段を上りきると、広場は真下である。赤煉瓦の町並みを囲繞する城壁の向こうに、トスカーナの畑地が広がっている。このルネサンス以前の町並みは、確実に21世紀に残るのである。凄いことだ。しかし不合理なことではない。30年ごとに木と紙でつくった家を建て替える極東の連中の方がずっと不合理だろう。最上部の鐘の下で、南アフリカから来たという女性と写真を撮りあう。
塔から降りて、今度は国立美術館に向かう。13世紀以来の聖母子像と、キリストの磔刑図を嫌というほど見る。私はルネサンスより前の知識は全くないので、はっきり言ってよく分からないが、宗教図像の変遷を何となく理解することができる。 またなぜかエリザベス1世の肖像画があった。この美術館は建築の方が面白く、1400年にできた邸宅を利用している。そのためパティオや井戸を見ることができ、家の構造もよく分かる。
雨が降ってきた。塩野さんの予言通り、雨のシエナはかなり陰気だ。
そこから300mほど離れたドゥオーモを見る。12世紀から14世紀に掛けてつくられた建物で、シエナの丘の上に堂々と聳えている。この教会を囲んで町が形成されているのだ。見所は、大理石を使った床の細工張りで、40以上もある。外観も内部も、柱が白黒の横縞模様になっているのが特徴的だ。シエナ出身の法王レオ2世、3世の像もある。もう一つの見所は、ゴシックのファサードで、聖人や哲学者が彫刻されているのだそうだが、私にはよく分からない。