ブランドが効果を持つ社会
織田 聡氏
織田 ロッキード事件のときの丸紅は、もう痛手から立ち直れないかと思ったけれど、その後少ししたら回復してましたもんね。
運営者 それは丸紅のままだったからです。リクルートもおんなじですよ。
織田 だから雪印と決別してしまったことが・・・。
運営者 最大の失敗であった。だけど名前でものを買っているというのは本当はおかしいわけで、本来買うべきなのは、自分に本当に必要で、かつ品質が良くて安いもののはずですよね。
織田 すぐには判らないから、風評に頼るわけで。
運営者 でもね、それを裏っ返して企業側から見ると、「自分たちがぎりぎりいっぱい実現可能なものを、ぎりぎりいっぱいコストを下げて値段も下げて提供しなくてもよい」ということになるわけです。そしてまた、事実そのような商品が供給されてきていたと思うんです。
それはしかし、まさにタコツボ社会であって、消費者がブランド志向を持つことによって企業がタコツボ社会で談合することを許容してしまっているわけです。それはまさに共同体意識の裏返しであるというのが僕の分析なんです。
そうではなくて、談合体質を抜け出た企業が突出して成功するという成功事例ができないと。
現実的にはそれができている企業があって、それはダイソーなんですよ。
あの場合は、自分たちがかぶせた新しいブランドを提供することによって勝ったという感じですね。「ダイソーで扱っている100円商品だから」ということで買わせているわけです。それが果たして本質的な進歩なのかどうかは、僕はよくわからないところなのですが。まあそういうやり方もあるでしょう。
それで消費者にとってプラスになる商品が供給されるのであれば、歓迎することができると思います。それによってタコツボ企業社会の桎梏も突破することができるでしょうから。そしてそこに商機があるんです。
織田 日本社会が共同体社会である以上、どうしてもブランドや評判の威力というのは大きいですよ。
「ああ、あの人が好きな商品だから」とか、「周りの人がいいと思っている商品だろうから」とか。確実ではなくても、「だろう」でいいんですよ。憶測があるだけで、十分効果がありますよね。
そのようにブランドが効果を持つ社会であれば、どうしても大企業は生かされやすい、延命されやすいですね。
運営者 そうですね。そうじゃなくて淘汰されてしまう企業はよほどですよ。望まない合併に追い込まれているような会社は、よほど苦しいんだろうなと。