共同体とは「ウチと外」をどう認識するかという問題
織田 聡氏
織田 新しい物の見方とか知識って、他人とのインターアクションで生まれてくるのではないかと思うんです。その時に、言葉を禁止してしまうと駄目なんですね。議論というのは本質的に、意見のぶつかり合いがないと、何も生まれないでしょう。
運営者 それは見解の異なる人との間の議論について言えることですね。
でも僕も、いいかげん飽きちゃいましたね、旧日本人の人たちと話しても、まず議論が成り立たないし、気分が悪くなるし、あまりもう話さないようにしてるんですけれど。
織田 儒教というのが、日本の社会の活力を封じ込めてるんじゃのかなとも思うんです。それは、「長幼の序」があるから。
運営者 長幼の序がある共同体であるというのが、おそらく日本的組織の特徴なんです。
織田 韓国や中国も一応儒教圏と言われていますが、どうなんでしょう。
運営者 細かいことは僕もよく分析していないのですが、中国というのは、香港があれだけイギリス流のビジネスにうまく適応しているのを見てもわかるように、長幼の序はあるけれど、共同体ではないんじゃないでしょうかね。
共同体というのは、要は「ウチと外の問題」なんです。
だから、共同体の範囲をどこまでと認識するかによって、行動が決まってくるわけで、そこは最大のポイントなんですが、中国はおそらく家族というか一族までなんでしょう。
ところが、日本はそれを会社に置いているわけです。
織田 そうですよね。だから、若いときには燃えるような情熱や問題意識を持っていても、だんだん年齢が上がっていくにしたがって既得権益に染まっていって、下の言うことをうとましく思えるようになってくる。
運営者 そうやって旧日本人に変化していくんでしょうね。
織田 会社が共同体化しているから、若い人も「いずれ自分もああいうふうになるんだろう」と考えて、おじさん管理職に逆進化していくんでしょうね。
運営者 いいロールモデルがないということです。ダメな組織だと、まともな人は辞めますからね。
もうひとつの日本型組織のポイントは、「忠孝一致」ですよ。中国では古来より忠と孝は一致しないことになってるんです。
織田 「忠ならんとすれば孝ならず」というやつですね。
運営者 歌舞伎に出てくるヤツです。しかし共同体に対して忠孝を一致させれば、共同体と自分を一体化させることができるわけです。僕は明治維新のときに、日本はこれをやってしまったと思うんですね。
そしてそれは、極めてマズイことだと思うんです。そこで利害対立が全体の中にとけ込んでしまって、「自分たちの仲間」対「外部」という関係が確立してしまいますから、外に対してはあくまでも排外的になってしまうし、内側に対しては「甘くてなあなあ」ということになってしまうわけです。