安全保障策としての組織、国家
織田 聡氏
運営者 社会の流動性がないことは大きな問題のひとつでしょうね。
織田 それと、組織の存在自身が厳しく問われるという環境が日本にはないんですね。
運営者 この国では、どんなしょうもない組織でも、組織である以上は潰してはならないことになっているんです。変な意味でのゴーイング・コンサーンがある(笑)。
織田 そうですね、組織同士の共同体もあるし。
運営者 それは癒着というものです。私はそれを「タコツボ社会」と呼んでいるんです。「仕切られた多元主義」と定義した人もいます。
織田 人が人を尊重し合っているのと同時に、組織も他の組織を尊重し合っている。
運営者 メンツをたてて、その企業社会の和を保つ形での安全保障なんです。ヤクザ社会と一緒です。
織田 そこでは、成果という概念がなくなるんですよ。
運営者 まったくその通りですね。目標はあくまでも自分たちの存続のみであって、「自分たちが何をしようとしているのか」は問題ではないんです。ドラッカーが言う、「組織にとっての目的は外部にしかない」という理屈は、この国には通用しない。
織田 そもそも、組織というのはなぜ生まれてきたかというと、一種の防護壁として生まれてきたと僕は思うんです。
対外的な脅威にさらされないための安全保障策として組織ができあがってきているわけで、組織の中で「成果を重視する」という考え方は、実は後から出てきたものなんです。
だから徹底させるためには、繰り返し繰り返し言う必要があるでしょう。組織のリーダーは、構成員に対して、「成果こそ重要だ」と言い続けるしかないと思うんです。
運営者 ところが、たいていの日本企業のリーダーは、「そんなことを言わなければならない」とも思っていない
織田 それはもっと深刻な問題です。
日本企業は組織の外に業界団体という組織の組織をつくって、さらに対外的なセンシティビティを失ってしまっているわけで。そしてその最たるものが国家なのかなと思うんです。業界団体がまたいっぱい集まって、国家というでっかい防護壁をつくっている。
運営者 それが日本の外延であると。なるほどね。
織田 「そしてその真上には天皇がいて、人々を見下ろしている、臣民は見守られている」というフィクションですね。