われわれは「進歩」に疲れたのか
織田 聡氏
織田 進歩に対する渇望が昔に比べると少なくなっているのかもしれませんね。石坂泰三のころに比べると。
運営者 「人類の進歩と調和」がスローガンになったころですか。あのころまでは「人間は前を向いて進むものだ」と考えられていたのでしょう。それが今じゃ、愛・地球博だと「自然の叡智」ですからね。
ビジネスマンには叡智がないのにですよ!
日本の通俗的な科学理解の中で、すごくエポックだったのが、戦前のことなのですが、アインシュタインの来日だったらしいんですよ。彼はすごい偉い学者であるということはみんな知っていて、彼の動静が新聞で報道されることによって、「マッドサイエンティストのような白髪で白衣を着たオジサン」という科学者のイメージが国民の間に定着したのだそうです。ゴジラ映画にも、志村喬以降そういう役が必ずいたでしょう。
織田 野口英世じゃなかったんですか。
運営者 同じ時期だと思うんですけど、やっぱり野口英世とか、高峰譲吉とか理化学研究所の研究者たちは、「世界に冠たる一等国」を目指していた日本の中では世界的な活躍をしていましたから、昔の日本人にとっては本当に誇りだったんですね。そういうところに、科学者の親分であるアインシュタインがやってきたんです。それが、「これが人類の進歩の先端を行っている人たちなんだ」というイメージを植え付けて効果があったらしいです。
日本人は、かつてはやはり、「明日はもっとよりよい自分になれる」という進歩観を持っていたんですよ。
それは今なくなりましたね。
織田 ヨーロッパはどうなんでしょうね。ダイナミズムを失っているような気もしますが。「競争や進歩は善である」というポリシーや信頼が、もしかすると薄れているのではないでしょうか。
運営者 フランスだったら、啓蒙主義や百科全書の時代以来ずっと、「進歩進歩」と言い続けてるわけでしょう。飽きたんじゃないんでしょうか。そういう意味では日本も飽きたんですかね。
織田 「対外的な競争があるから、このままではいけない」という論調もまだ生きてはいますが、もしかするとだんだんみんな疲れてきてしまったのかもしれない。
運営者 ですけれど、これは織田さんも僕も一緒だと思いますが、「人間は常に競争下という相対的な立場に置かれているのだ」という認識はあるでしょう。
あとは、僕がこの年になるまで生きてきて認識が変わったことがあるとすれば、子供のころは「人類は常に進歩するのだ」という意識を持っていたんですけれど、「しかし歴史を見ると、同じことを繰り返しているじゃないかコイツらは」ということで、すごく人間存在が相対化されたということはあります。