田舎者はブランド物が好き
織田 聡氏
織田 結局それは、他人との関係の中でしか生きることができないということですよ。
運営者 そうです。そして今の日本の世の中だったら、自分の中で価値を追求するよりも、そのように他人との関係を引きずったまま生きていった方が生きやすいという状況があると思います。
自分のオリジナルの価値を強く提唱したとしても、それを拾ってくれる相手を見つけるコストが高いのであれば、やってもしょうがないと考えるのが賢いと思うんです。そういう相手が少なくなるほど、関係性の中だけで生きる人は増えてくる。
織田 サーチ・コストですね。
そういう人は、悪い意味で「借景」しているわけです。
運営者 おもしろいですね。ブランド物を買って喜んでいる人は、それを身につけている自分の姿を想像して喜んでいるわけですか。
だって自分がブランド物を借景にしていて、その場に溶け込んでいるということは、自分の目では見えないわけじゃないですか。それはむしろ、すごく想像力に富んでいる人たちだと思いますよ。
それだけの想像力があるのであれば、ブランド物に頼らなくても、もっと豊かに生きることができるのではないかとも思いますけどね。
織田 ですから、日本社会は少しずつ変わって来ているのですが、岩盤の部分、根雪の部分というのはどうしても残っていると思うんです。
運営者 それは、丸山真男の言葉でいうと「執拗低音」とか「原型」という部分ですよ。
織田 農村共同体であるということでしょう。僕は農村共同体の意識というのは、100年たっても200年たってもそんなに変わらないのではないかと思います。だから、ブランドの重要性というのは今後とも変わらないでしょう。
そうすると、ブランドの権化である大企業は、今後とも命脈を保つかもしれないな。大企業の生存率は、中堅企業よりもはるかに高いということです。
運営者 問題は、「そこで働いていて楽しいのか」ということですよ。中堅企業の方が波風があるかもしれないけれど、そこで働くほうが価値がつくれるし、楽しいんだったら、僕はそちらのほうを選びたいと思います。
例えば大企業に行けば、年に1回家族デーがあって、ディズニーランドに招待してくれると・・・。
織田 そんな会社今ないですよ。
運営者 そんなことやっていたら人間的にまずいんじゃないのと。そんな時代はもう終わったんじゃないのかなと思うんですよ。
織田 そういう共同体的な心地よさに惹かれる人間というのは、どんな時代にも何割かいますよ。それはそれでいいんですよ。
そういう会社が顧客に対して成果を生みだし、価値を顧客に対して提供し続けていれば、会社の中がどうなっていようと消費者にとってはあまり関係がない。