価値を顧客に提供できれば会社の形はどうでもいい
織田 聡氏
織田 そういう共同体的な心地よさに惹かれる人間というのは、どんな時代にも何割かいますよ。それはそれでいいんですよ。
そういう会社が顧客に対して成果を生みだし、価値を顧客に対して提供し続けていれば、会社の中がどうなっていようと消費者にとってはあまり関係がない。
運営者 例えばホンダとかキヤノンなんてのは、わりと共同体的な色彩が強いですよね。業績がいいというのは不思議なことです。
織田 そういう会社も残っていくだろうし、そうではなくて機能オリエンティッドで、従業員に対して厳しい成果を求めて、それによって顧客に対して成果を出し続ける会社というのもあるでしょう。そこにはいろんな形があっていいと僕は思うんです、構成員が自由に行き来することができればね。
運営者 それは、機能的集団として自らを規定している会社であれば、去る者は追わずで認めるでしょうけれど、ホンダやキヤノンが一般社員にまで自由な行き来を認めるとは思えないですね。だから一般論として、日本の普通の大企業は、難しいでしょう。
だって聞いたら、金融機関では上司が社員のメールチェックをしているらしいんですよ。筒抜けだそうです。だから会社のメールアドレスはもらっても使えないらしい。そんな゜いきで人権侵害している会社が、いったん辞めていった社員に「戻ってこい」なんて言うはずがないですよ。融通性もへったくれもないですよ。
織田 結局は、不可逆的というか、一方通行でしかないでしょう。ヨーロッパなんてどのようになっているのか興味がありますね。
運営者 ところで、日本の会社の取締役会って機能してないんですよ。唯一の存在意義は、社長が役員に対する不満と寛容の態度を、見せつける場といったことでしょうかね。
役員会というのは、仕組みの上では株主総会に次ぐ決定機関なんですね。そこで合議をして可否をとって「やるかやらないか」を決定する機能を持っているわけですよ。しかしおそらくは、普通の会社の取締役会では決議などというものは取ってないですよ。取るとしたらば、必ず全員一致なんです。
そしてそこで議論が戦わされるということもない。それは「他人の縄張りに口を出すのは失礼なことである」という文化があるからなんですね。発言があるとするならば自分の縄張りについて攻撃されたときだけです。「自分のタコツボさえ守っていればいい」という防御的な姿勢なんですよ。
織田 それは役員としての自分の役割がわかっていないからなんでしょうね。
運営者 それはあります。役員会で議論なんかしたら、会社の和が乱されてしまいますからね。
織田 野中先生は、「日本の会社は中間管理職が一番力を持っている」と言ってますよね。
運営者 ミドルアップダウンマネジメントですから。