日本には民間資本形成の文化がない
織田 聡氏
織田 リーダーシップにも2種類あって、すでに手本となるものがあってそれを目指すためのリーダーシップと、新しい価値をつくろうというリーダーシップがあるんです。そして後者のリーダーシップは日本では少ないと思いますね。
運営者 しかしもしそうであるとするならば、本来の意味でのベンチャー企業をつくるのは不可能ですよ。企業の中で起業してスピンオフするのではなくて、企業から飛び出してやって初めてできることなのですから。
織田 消費者自身も、自分がそれまで全く見たことがないような新しい価値が判らないから、既存の、実証済みのものを買おうとしてしまうわけですね。そんな客しかいない社会ではベンチャーは育たないですよ。
運営者 ベンチャーに投資する仕組みもないですよね。そこで僕が気になるのは、日本には資本形成の仕組みがないということなんです。
例えば、僕が今持っている郵便貯金の口座というのは、小学校で強制的に作らされたものなんですよ。そうやって貯蓄振興政策をやってきたわけですが、それはその半面民間の資本形成を妨げているわけです。だからベンチャー企業や、「自分がここに投資や寄付をしたい」というところにお金を出す仕組みというのはないんですよね。
そうすると、個人があるシーズを持っていて、「これを企業化すれば儲かるかもしれない」ということがわかっていたとしても、お金を集めることができないんですね。
対して欧米はというと、貴族や成功者は金を持っているわけですよ。しかも投資しても自分の代で回収しようとしない。孫の代を見据えた投資をやっている。だからお金は使うために持っているのではなくて、投資し、孫子の代にさらに増やし、またその子孫に伝えていくという文化がある。そのように資本をつくる文化があるから、直接金融市場が機能するわけです。
だって、プライベートバンクに金を預けたら、彼らは企業に融資をするわけではなくて、株を買ったり投資信託を買ったりして投資するわけですから。だからあっちには「金利生活者」という人種はいないんですね。
日本だって、鎌倉時代に、農民が相続の時に子供に田畑を切り分けて、身上を潰して「たわけ」と言われたわけでしょう。富を生みだす資本はある程度集約しておいて、主体的な運用者が必死で運用しないとアウトカムは最大化しないんですね。
それを郵貯だの簡保だの政府系金融機関だの、お上任せにしていたのでは、お話になりませんよ。
家だってそうですよ。ヨーロッパの家は石造りで頑丈です。500年前の家に住んでいる人がいっぱいいます。ローマにはマルケルス劇場というのがあって、これなんか2000年前に建ったんですけど、マンションとして使われてますからね。ヨーロッパの大きな建築物は、1世代で建築費を回収するのは無理だと思うんですね。数世代にわたって償却しようという仕組みではないんでしょうか。
日本には、民間でそれだけ大きなものを作る資本をまとめるシステムがなかった。だから紙と木の家を作り続けてきたのではないでしょうか。その文化が今も残っているから日本の住宅は平均20年で建て替えられている。