犯罪的なレベルの資本と労働力のムダ
織田 聡氏
織田 経営者の側にも問題が多いんです。僕もだんだん役員クラスの人と近くで話をするような年になってきたんですが、なかなかやはりダメな人が多いんですね。
運営者 ダメというのはどういう意味ですか?
織田 企業の目的や自分の部門の目的は何かということを、本質的に考えていない。顧客が何を求めているかを本質的に考えていない。既存のやり方の延長でよしとしている、そういう人がやはり多いですよ。
運営者 しかし不思議ですね。織田さんのおっしゃっていることはよくわかるし、ミッションや目的とか、資源配分のために必要な情報とか知識とか分析力とかセンスといったものは限られているし、それは天才でなくとも身につけることができるわけだし。
織田 ある程度の基礎学力があれば、経営戦略論なんていうのは難しいものではないですよ。自然科学に比べれば、ぜんぜん楽だと思いますよ。
運営者 自然科学をやっている人から見れば、バカみたいなレベルかもしれませんね。
にもかかわらずそこで滑った転んだをやって、ばく大な経営資源が浪費されて、何万人という人間が無駄働きをしているわけじゃないですか。
社会的な位置づけとしては、犯罪的であるとすら考えられると思いますね。
織田 EVAのように、労働時間も指標化できないかなって思うんですよ。「エコノミック・レイバー・アワー・バリュー」とかね。
EVAというのは投下した資本に対してどれだけリターンがあるかという話ですよね。それと同じように投下した労働時間に対してどれだけリターンがあるかという尺度も必要だと思うんです。
運営者 日本企業ではね、労働時間はね、タダなんですよ(爆)。 なぜならば、おみこしをわっしょいわっしょい担いでいて、「お前たちも楽しいだろう、だからこの分はただ働きなんだよ」という理屈なんです。
「資本と労働力は有限の資源なのだ」という発想が乏しいんです。
ABC(活動基準原価計算)だと、間接部門のコストもはかれるんですよね。どのくらい間接部門を切り詰められるかというのも出るんですよね?
織田 出ますよ。間接部門だって現状のアクティビティにリンクしてますからね。
だけど、高コストを容認する風土が、やっぱりあるんでしょうね。結局それは、日本語に守られているからという感じがします。
運営者 そこに行きつきますか。