運営者 それで、放射能防御プロジェクトについてなのですが、「放射能防御プロジェクト」ってそもそもどこから出てきたものなんですか?
実は僕は覚えていて、最初は活動体をやるのに、2011年の4月に作ったFacebookの「福島原発を考えます」を拠り所にしてたじゃないですか。その後土壌調査をやった後だったかなぁ、木下さんが電話で「放射能防御というコンセプトで行こうかと思うんだよね」と言ってたじゃないですか。「いいですね」と答えた記憶が。
木下 それは言いました。
結局僕は西日本と東京の間を何往復かしているうちに、「土壌調査をやるしかない」という考え方にたどり着いたのですが、その時は東京にいて今は岡山に避難している人が測定をどこの会社でやるかも含めて提案してくれたんです。そうした提案がなかったら踏み切れなかったかもしれないですね。
体制側に近い民間の研究所で測定しないと「検査結果を信用できない」と言われるかもしれないので、同位体研究所に全ての測定を依頼したわけですが、これはまちがっていなかったと思います。
運営者 でも1検体当たり1万5000円かかるんですよね。
木下 ですから検体を集めて送るのは、各地の皆さんにお願いして、こちらとしてはそのデータを集めて集計する作業になりました。そのプロセスの中で放射能防御という概念が現実化して、そのグループの名前も放射能防御プロジェクトという名前になっていったということです。
「防御」なんです。「防護」よりももっと強いニュアンスなんです。
運営者 なんで「放射線」じゃなくて「放射能」なんですか?
木下 放射線というのは、外部被曝のことしか考えていない言い方です。放射能という一般的な言い方にすれば、すべての放射性物質が対象になるわけです。土壌調査を行うと決めた時点で、そちらの方が危険なんだとの認識があったわけですからね。
運営者 それで首都圏、西日本の土壌調査を行い、記者会見を開いて、日本のどこがどのように汚染されてるかということを明らかにすることができました。
それから海外からの講師招聘もやりましたね。
木下 バンダジェフスキー博士とか、ヘレン・カルディコット博士とか。
放射能防御プロジェクトは、NPOにもしていないので、こうした事を主宰するには制約がいろいろ多いんです。だからわれわれが主体になって呼ぶんですけれど、招聘はいろいろなところと協力して行っていました。
運営者 そういえばすっかり忘れてましたが、バンダジェフスキー博士の2回目の招聘元は私の会社でした(笑)。
木下 僕はバンダジェフスキー博士が言ってることを何かで読んで、非常に関心を覚えたんです。それでどうしても彼が書いていることを読みたくて、茨城大学の名誉教授の訳した小冊子を取り寄せたんです。それを読むと、心筋に放射能が及ぼす影響とか、健康被害の影響がこと細かく書いてありました。
そうした具体的な情報は紹介しなければと思ってブログに書くと反響が大きかったんですよ。それで、「この人を日本に呼んで話を聞いて、この状況を決着させるしかないんじゃないか。この人の話を聞けば、被曝の影響についての話は終わりだろう」と思って来てもらったんです。
偶然、博士にアクセスもできて、僕がやっている活動のことを説明したら、ある程度わかってくれて、しかもかなり信頼してくれたんです。
■木下黄太氏インタビュー
今そこにある「放射能危機」の本質 2014年4月
「放射能防御」と脱原発を巡る、もろもろの事情 2014年7月
被曝回避、放射能防御の現状と展望 2014年11月