取材対象の必然性を考える作業.1
運営者 自分の過去を振り返ってみるとどうだったかというと、一番最初は三番目のやり方をしていたわけです。なぜなら人脈がまだないからですよ。だけどそこでどれだけの訓練を積んだかが大切なことだと思います。これ、やってる人と、やってない人がいますよ。上司に「あいつに話聞いてこい」と言われてパシリをやることに馴れてしまった人は、この訓練ができてません。
しかし、プロとしての能力の根本的な差がここにあります。目には見えないから、自分がやった経験のない上司には、その違いは見えません。ただ、できてない人はなんとなく「自分はできてないな」と自覚していて、開き直ってしまう傾向があります。
そして人脈ができてきたら、人に聞いたり、アンケートを投げかけて、それを整理していけばある程度のレベルのものができるというのは非常に簡単になってきます。
三神 私は、併用した方がいいかなと思うんです。両方のやり方ができているから、評判モデルをやったときに、情報源の言っていることが正しいかどうか、独自性があるかどうかの判断ができると思うので。
運営者 雑誌は人数が少ないですから評判モデルになっちゃいますね。
三神 新人が多いチームだとどうしても、「あの人に聞けば大丈夫だろう」と同じエージェントにずっと頼り、実質的に特定の媒体に特定の狭いコミュニティが固定化していく傾向は出てくる
と思います。その中に中立性の意識が高くない人が万が一混じってしまうと、「メディアと一緒に自分が仕掛けている」「コネクションがある」などと自分の宣伝文句に不当に媒体名を使う危
険があり、実際そうした発言をする方も散見されます。
運営者 その紹介者が取材先と癒着していたらどうするんだということなんですけどね。
そういえば、ある家電メーカーの取材をしたときに、広報の人が「あるライターに脅された」と泣きついてきたことがありました。そのライターが言うには、「プレジデントの家電関係の記事はオレが仕切っているんだから、オレに書かせろ」と広報にねじ込んできたと言うんですね。でも当然ながら記事の編集権は一次的には私が持っているので、私が企画を立ててライターもカメラマンも決めるわけですよ。逆にそういうライターは広報の人と話していて「プレジデントに出たかったらオレに言え」という営業活動をやっているだろうと容易に推察できますよね。
基本的に誰に取材するか、コメントを求めるかという問題については、自分と付き合いが深いとか、癒着しているような人でも平気で出すという人もいるし、下手をしたら癒着するのが仕事だと思っている人すらいますよ。取材対象の必然性を考える訓練ができていない人は、開き直ってそれをやってますね。
三神 距離は絶対におかなければならないです。金品を受け取るのは問題外ですが、そうでなかったとしても、特定の営利組織や個人との間でコメントの「御用達」感、つまりこういう方向で後押しする発言をしてください、というような操作性が出ることは問題です。
必然性のないテーマでもコメントさせることは、客観情報に価値を加えるはずのコメントの場がタレントを売り出す場と変らない使われ方になる。これは取材枠に巧妙に紛れ込ませた媒体の私物化ではないかと。