取材対象の必然性を考える作業.2
運営者 それは非常に重要な問題だと思います。しかし現状どうなっているかというとまったく逆でしてね。
やっぱり雑誌を続けて読んでいる人は「出てくる人間がほとんど同じだな」ということにすぐ気がつくと思うんです。それはほんとに実力のある人だから頼んで出てきてもらっているというケースもありますが――マンガなんかはそうですね。人の育成に編集者がかなりコストをかけてますから。ともすれば「じゃあこの記事はやっぱりあの人に頼んじゃおう」と易きについているというケースが少なからずあります。
それは何がまずいかというと、読者にしてみれば同じものばかり読まされることになってしまって、クオリティーが低くなってしまうんですよ。
三神 人材の発掘は、大変です。本当に。この仕事の醍醐味であると同時に職業的使命が課されている部分かなと個人的には思うんですが、でも現実には、特に実務界の幅広い動きをカバーしていくのはきついです。体力的にもコスト的にも見合わないと考える人はいるでしょうね。残念ですが。私自身も試行錯誤で、自分の力量不足と直面する毎日で非常に辛いです。
運営者 しかし、そこまでちゃっと考えている人はなかなかいないですからね。ぼくだって理屈でなく直感的にやってたわけで、他人のやり方がおかしいと思っても、論理的に説明して納得させることはできなかったし。 まあ基本的に、「自分はほんとうに読者にベストなものを届けているか」という自問が常に必要です。
運営者 多少マシな人は、「とりあえず有名な人を出しておけば大丈夫だろう」という評判モデルに頼りますが、有名であるということは、その人が本当に適任者かどうかという問題とは関係ないですからね。
三神 有名である、という状況も実はメディアが作り出している面があるわけですね。取り上げやすい、見出しになりやすいコメントを言ってくれる、高い役職に見える肩書きがついている、写真栄えする、といった、アイコンにしやすい要素が揃うとメディア内でどんどん連鎖的に取り上げられていくからです。
こうした逆転現象といいますか、優先順位の形骸化を引き起こす要素や業界内での連鎖経路は別の機会に譲りますが、現実には、こうした要素を揃えて露出に長けることが本業化し、実質が存在しない取材先も中にはある。どういう内容でどのような媒体にどのような出方をしているのか見極められなければ、業界内にいながら素人と変らなくなってしまいます。むしろメディア以外の実務界のほうが冷めていることもある。
情報信頼性評価でいえば、多くの媒体に出ていたり受賞歴があったりすれば評判モデルのスクリーニングはある程度までくぐれるでしょうが、作ろうとしているコンテンツにその人のコメントを入れ込む必然性と効果をどう見るか、ということになると、判断は情報の有用性評価の段階に移ることになるんですね。
例えばコーネル大のチェックリストでCONTENT ANALYSISという項目があるんですが、発言や記述内容が事実なのか、意見なのか、プロパガンダなのか、使用されている表現に感情やバイアスのかかった単語は入っていないか、といった内容が挙げられています。この視点は、たくさんの媒体に載っていて著名な人であったとしても、あくまでコメント内容の構造が問題であって、コンテンツの中に加えるべきかどうかの判断は著名性とはまったく別である、ということを補足してくれていると思います。
皮肉ですが、メディアの中での有用性評価が脆弱だとメディアでの露出、活字であれば媒体掲載が、量においても内容においても有用性評価の目安にならない度合いが増し、さらにメディアの取材先選定品質が落ちる、という悪循環の関係になりえるんですね。