記者はニュースに関係してはならない.3
三神 ただ、メディアの人間が注意を払うケースとしては、実は提示していただいた事例はこうした身内との関係を事前確認すればよいわけですから、比較的シンプルかもしれないんですね。
というのも、先ほどの情報誌は別として、プロフェッショナル・メディアの雑誌で見られる、媒体の私物化と思われる事例ではもう少しスキームが込み入ったものもあるからです。
これも数年前の話ですので現在も続いているかは不明ですが、記者が副業として開業している分野を、同じ会社の同僚と思われる記者が「大ブーム」という見出しでまず記事にします。本人はこの記事は書いていないかもしれませんが、この副業に対して経営コンサルティングをしている先が、この記者本人の所属する媒体で記事に登場します。そしてこの経営コンサルティングをした会社の取引先や関係者が頻繁にこの媒体に登場するようになります。
一見わかりづらいかもしれませんが、記者の副業と、副業を後押ししている経営コンサルタントの営業を代行するために媒体が使われるビジネスモデルが出来上がってしまったケースですね。
運営者 それはすごいなぁ。株の評論家が自分の買った株を推奨株として雑誌に書いているレベルじゃないですね。
2002年に「ハーバード・ビジネス・レビュー」がジャック・ウェルチのインタビューを取ったんだけど、編集長のスージー・ウェットラウファーが掲載前にジャック・ウェルチとねんごろになってしまったんです。「そんなインタビュー記事を載せるわけにはいかない」と抗議して、デスクが3人辞めたという事件がありました。
編集長は編集権限を持っていますから、その本人が特別な関係を持っているのにインタビューを載せられないという判断をデスク連中がして、「それでも載せるんだったら悪いけれど私はここにはいられない」というくらいの規律がないと、読者に対する責任は果たせないわけです。トップがそれじゃあ、話にならん。はっきり言うと、僕が辞めたのもそれに近い理由ですからね。「こんなことじゃ読者に対して申し訳ない」ということです。
利益相反という発想がそもそもないのと、「これをほんとうに読者に出してよいのだろうか」ということをぎりぎりまで考えているのかどうか、そこに対する意識がものすごく低いように思えるんです。
三神 読者に対する責務、ひいては職務上の倫理違反だと思うのですが、倫理規定は本当に国や媒体のルーツによって濃淡がバラバラですよね。
ご指摘の事例は、「特別な関係」という側面がゴシップ的なニュアンスに曲解される恐れがありますが、問題は2点あると思います。インタビューや編集に私情が入るので記事の客観性・独立性が保たれない、という心理的な要素による情報信頼性の低下。そして大きいのは、お二人はほどなくして実際、法的に三親等内になったと記憶しているんですが、こうした経済的利害関係がすでにでき始めていたわけですよね。
運営者 結婚しましたよ。たぶんウェルチは前妻に莫大な慰謝料を払ったでしょうね。
三神 巧妙な取り込みやグレーゾーンの事例は、実務現場で起きている動きが非常に速いです。新興勢力のケースは後でお話しますけれど、プロフェッショナル・メディアは科学技術的な意味もビジネスモデル的な意味も含めた情報環境の激しい変化に晒されています。そして何より、取り扱う商品が情報という、鮮度が短い、もっといえば陳腐化の権化のような性質を持っています。
ですから他の業界に見られる技能認定のような固定化されたライセンス方式や、大まかな倫理規定だけではキャッチアップしきれない歯がゆさがありますよね。