記者は取材前に取り上げ方を約束してはいけない
三神 取材に協力してほしくて風呂敷を広げるとか、或いは逆に取材依頼状のタイトルには好意的なタイトルを「仮題」としてつけて、実は本意ははじめからネガティブに捉えたテーマ、というアプローチが現実には少なくありませんが、こうしたものとは根本的に異なると思うんですね。
運営者 その話をもうちょっと横に広げると、2年前にNHKと朝日新聞がケンカしてましたよね。NHKが韓国人の従軍慰安婦を支援している団体に取材を申し込んだのですが、団体側の言い分によるとNHKの記者は「おたくのためになるような取り上げ方をしますよ」っていう約束をして、それが放送されてみると必ずしもそのような内容になっていなかった、それに対する文句を団体側が言ったというのがことの始まりだったですよ。
しかも番組制作の下請けをしたエンプラのプロデューサーはこの団体の運営委員をやっていたという利益相反の問題もある。
これは前提がおかしいんです。記者は取材をするときに「あなたのためになるように書きますよ」と約束してはいけないんです。それをどのように取り上げるかという権利は編集権を持つものにあるわけで、そこに容喙を許してはならないわけです。「あなたはこの事実にお詳しいでしょうから、ぜひご存じのことをお話しください」と言って取材するわけで、それをどう取り上げるかは、ある種の規律を持ちながらも編集権はメディアが持っていなければならないのです。そもそも不可能な約束をして、それに縛られてはなりません。
ところがなぜ「あなたのためになるような記事にしますよ」と約束して取材に入ってしまうのかというと、まさにさっきの仮説の部分や必然性の部分が記者の中で固められていないからだと思うんです。自信がないから、あるいはそもそも記者の中で偏見や変なバイアスがかかっているから、そのように取材先を持ち上げるしかないんです。これは歪んだことです。
つまりこれは、取材者/取材対象者の「対人感覚・組織感覚」に依存していることなんです。
ビジネスの関係でもまったく同じですよ。どうして人と心を通い合わせることができるかというと、お互いの持っているものを認めて、自立した存在としてお互いがお互いを高めあうという関係であれば、相手を承認し尊敬し信頼がそこから生まれてくるわけですから。
そうした普通の人間のつながりとね、取材を依頼するということはそんなに離れていないと私は思うんです。
つまり「あなたのためになるような取材をします」というのは、相手に対してへり下った態度なわけです。「上下関係の中に入れば関係が安定するだろう」という考え方は、ピラミッド構造の封建的社会組織の中に住んでいる人の考え方なんです。
でもそれはまちがっていますよ。お互い対等の立場で、言えることは言ってください、それに対して評価や取り上げ方は私の持っている価値観でやりますよということですから。
三神 その価値観は主観だけで構成されていては説得力が出ないわけで、そこに関してはそのメディアの根本的な存在意義として共有している価値観がなければならないでしょうね。
運営者 まったくその通りです。その価値観の中には、メディアは受け手に対して信頼されるにたる情報を届けなければならないということが含まれます。われわれが今話しているのは、その話です。