タレントは原則的に報道番組に出てはならない
三神 レポーターとはロケ地現場から見たものを報告する役割が主になっている人々で、このあたりから、企業広告にも出ているタレント職の人が多く混ざり始めますね。
メディアの情報信頼性担保の観点でちょっと整理しますと、まず、タレント職は個人の魅力や お金をとるに資する才で集客するプロですから、企業の広告や娯楽番組で、人々の注意・注目を惹き続ける役回りで貢献します。独自のキャラクターを作り上げて自らを商品とし、演じ続けると言い換えてもいいかもしれません。だからタレントの方々の肖像権や言動は財産として非常に慎重に管理・運営されるわけです。
企業はこの商品価値に対価を支払って広告に使います。そしてタレントの発言内容は、お金の出し手である企業にコントロールされるわけですね。つまり、企業広告に出る人は言論内容も肖像権も、メディア以外の営利企業に沿う形にして販売する仕事ですので、言論内容の独立性・中立性が求められる報道・情報番組に出てはいけないのが原則、ということになります。
出た途端、報道・情報番組がそのタレントの商品価値を作る場、あるいはタレントを売り出す場になってしまうという問題もあります。これが何を意味するかというと、間接的には、報道・情報番組が企業広告のキャラクターに独立・客観価値があるかのように信用を付加する構図になってしまう。
一方、役者や俳優・女優・芸人という職業名を名乗る人々は、例えば英国ではActorとPerformer で受ける教育が違うためにキャリアが区別されるようです。
役者や俳優・女優は、演劇という芸術作品の中で、台本に書かれた一定の役回りを演じるプロです。芸人は観客を楽しませる様々な分野の技能を磨いて披露するプロで、ネタと呼ばれるアイディアや演出方法も自分で構築します。
芸術・芸能の本来的な目的は受け手の感性や感情に働きかけることにあり、これは娯楽コンテンツの目的とも重なります。言論の中身はこうした目的に主軸がある。
人を笑わせるプロの方が、例えば、ちょっと痛いことを事実以上にオーバーな単語で表現したり大声で身振り手振りを交えて表現したりするのは、事実を客観的に独立の立場で伝えるのが彼らの職務ではないからです。
人々の感情を刺激する専門的技能に貢献するために、彼ら自身や、彼らから発せられる言論はデザインされ、作られていく性質を持ちます。ですから事実に対する中立性・独立性・客観性が主軸になる報道・情報番組とは言論の存在する目的が異なってくる。
芸術と芸能をどう定義するかは、別途専門領域があると思うので、整理の仕方に反論もあろうかと思いますが、コメント内容の情報有用性評価をしていく立場でのスクリーニングのかけ方をベースにした場合のお話です。事実か? 意見か? 感想か? 感情か? 演技か? プロパガンダか? これをメディア自身が混同してはならないだろうと。
運営者 なるほど。