娯楽・広告とニュースでは出演者を区分するべき
三神 日本では企業の広告や娯楽番組に出るタレント職の人がニュース報道や情報番組でキャスターという肩書きを使ったり、レポーターとしても仕事をしたりします。
逆に、ニュースを読むアナウンサーが娯楽番組に出たり企業広告に出たりする例も見られます。それは個人に柔軟なキャリアを拓く意義があり、思わぬ才能が発掘できる良さはあります。アナウンサーも硬軟どちらもできる、という力量がとても重要な側面もあります。
ただし、基本的には区別するのが情報信頼性評価のフィルターをくぐる観点からはロジカルだと思いますし、プロフェッショナル・メディアの情報品質を考える上では今後、争点になってくると思います。BBCのガイドラインが娯楽番組と報道・情報番組の出演者は区別しなければいけないとしているのは典型例でしょうね。
運営者 そうなんですけれど、起こった事実と自分の意見を分けずに話している「報道」キャスターもいますよね。見ていると操作的、誘導的と思えるコメントが甚だしく多いのですが。自分の影響力がわかって言ってるのかな?
三神 どうやら日本における「コメンテーター」は、個人の持つ取材や調査、実経験にかかわらず、視聴者が共感しやすい感想や意見を言うことで視聴率に貢献する役回りで、コメントは解説ではない、という点が事態をややこしくしているんだと思います。
解説委員や論説委員、編集委員といった肩書きを持つ人々や大学の先生、エコノミストやアナリストなどが担っている「解説者」の場合は、自分の守備範囲については自分の意見・見解を発信しつつ知識に則って事実情報を添え、補足説明やポイントの整理、視点や切り口の提供をします。評論家は、事実の解説に比べると主張性・評価性が強くなり、自分の見解が主軸になる。解説というより評価という感じでしょうか。いずれも情報の受け手の「有用性評価」フィルターを潜り抜ける価値を生み出す人々、というのが本来的な機能だと思います。
これはもちろん、誘導であってはいけません。先にもお話しましたように意思決定上のリスクを減らすのが目的ですから、娯楽番組や企業広告との立ち位置の分離、ワークフローの整理が必要になってくると思います。
運営者 コメンテーターはどちらかというと、専門的な新たな事実を付加するよりは、視聴者の感情に訴えかけるのが仕事ということでしょう。ミスリードする危険性が高いから、決して好ましいこととは言えませんが。
それからテリー伊藤なんて人は、とても優れたコメンテーターなんですけれど、テレビショッピングにも出ているという事実があります。
三神 BBCのエディトリアル・ガイドラインが、娯楽コンテンツに出る人と、報道・情報系の番組に出る人は分けなければならないとするのは、こうした言論や情報発信に携わる人々のお金の流れと言論の独立性を厳密に捉えて、情報の信頼性を担保する考え方ですね。