アングロサクソン型資本主義は世界を覆い尽くすだろう
運営者 なるほど。いまのお話を伺っていますと、資本主義の成熟段階と文化的な差異によって、会社とは何かとか、会社の主導権を握っているのはだれかという認識に関して偏移があるということですよね。
三ツ谷 ただ、ここがもしかするとポイントかと思うのですが、いまある考え方の中で「アジアにはアジアの資本主義の形があって、大陸には大陸の資本主義の形態があって、アングロサクソンにはアングロサクソンのやり方があって、各々の文化的制度的宗教的条件の中で育まれたものが違うのだから、非常に皮相的なアメリカ礼賛主義はくだらない考え方なんだ」という主張があります。
「企業はだれのためにあるかという時に、ステイクホルダーのためにあるわけだから、それは従業員に対しても優しくて、地域のためになるよう努力するのも企業のあり方だ」という考え方です。
これは私の個人的な考えですが、資本主義はそのように理解するべきではなくて、運動の形態として資本主義は「原理的」に動いているものではないかと思うのです。となりますとアングロサクソン的な資本主義が普遍化していくと考えなければ、資本主義の正しい理解にはならないのではないでしょうか。
運営者 まったく同感です。
三ツ谷 「ドイツの資本主義であれば株式会社は従業員の共同体である」とか、「銀行が企業支配している」というような議論もあります。また日本では従業員に主権があるというような議論も聞きます。
では、だれが会社の意思決定を行うべきなのかという問いを立てますと、組織では誰かが意思決定を行わなければなりません。官僚的な機構を前提としますと、それはトップ一人の意思、この場合代表権を持っている社長という意味だけではなくて、奥の院に座っている実力者かもしれませんが、そういう人の個人的な考え方ですべての意思決定が行われてしまう会社組織にならざるを得ないわけです。
運営者 アメリカのCEOでも、そういう機能を持っているように思いますが。
三ツ谷 でも、アメリカの株式会社を結局最終的にだれが統治しているかというと、それは株式市場なんです。もちろんそれは純粋に抽出したアメリカ的な企業の場合ということですが。たとえCEOが独裁的な決定権を持っていたとしても、彼のやっている行為を市場が評価して、その結果彼の首がすげ変わったりするわけですから企業の統治者は株式市場になるわけです。
運営者 そういうところまでアメリカは行ってるわけですね。
三ツ谷 行っているのか、行っている矢先なのかはわかりません。ただ、方向としては一番それに近いところにあるでしょう。
市場が株式会社を統治していることの何が重要かというと、市場の参加者が、少なくとも一人ではないということなんです。逆にメインバンク制の弱さというのは銀行との相対ですべてが決まるということなんです。銀行の一人と会社側の一人の意思決定ですべてが決まってしまうというのは恐ろしいですよね。市場を通すということは、最低でも3人が参加していることになります。今現在新日鐵の株の取引に参加している投資家は、やっぱり50人や100人ではきかない人数が参加して価格が決定されていくわけですよね。これは決して一人の意思ではないわけです。
現在の非常に分散化された社会の中で、分権的な意思の代表として価格があるといえるでしょう。ここが最終的に企業統治するということは、一人の人間が意思を決定するということとは違って、それこそ本当の民主主義なのだと思います。