全体主義の火種が絶えることはない
運営者 僕はたぶん、それと今現在のアメリカ型の資本主義・資本市場の仕組みというのは矛盾しないのではないかと思うんですよ。個人が自分自身が作り出す価値を市場に提供するために最も効率的なシステムを提供しているのは、アメリカ型の資本主義だと僕は思うんです。
三ツ谷 全くそうだと思います。ただ怖いのは、大きなロマンを求めて、それによって自分自身を確認しようという流れが必ず出てくるであろうということです。それはある種政治性を帯びるということを考えると、そちらが主流を占めてしまうと非常に危険な状態になるでしょう。全体主義の現れ方がどんな姿をとるかはわかりませんが、何かしら個人を全体に埋没させるという考え方が出てくると思うんです。
運営者 そうでしょうねえ。そうした思想をわれわれの社会は受容しやすいと思います。
三ツ谷 実は、そうなったときに生産機構が耐えられるかという恐れもあります。
生産機構はこれまでの資本主義の盲目的な圧力によって高度に進化し発展してきているわけです。ここが生み出す財やサービスは緊密に連携がとれていて、金融システムを考えていただければわかると思いますが、本当に動かしようがないないわけです。みんな一生懸命走らなければにっちもさっちもいかないというところまできているわけです。ところが、どこかの国家が強烈に先祖返りするような形で動いて、現在の生産機構そのものに対して否定的な動きをしたとすると、一つの歯車がずれたことによって世界全体の生産力がかなりダウンする。そうなったときに、個人の自由を回復する手段というのは市場であったわけで、その市場の機能が低下することによって、個人が自由を追求するための財が生産されなくなってしまう。そうするとまた元の黙阿弥で、「一からやり直し」ということになってしまうでしょう。その危険性というのはあるかなと思うんです。
運営者 そういう先祖返りを防ぐ担保になっているのが市場なのではないかと私は思っているんですけどね。市場が有効に機能し続ける限り、そういったバカなことにはならないということです。
三ツ谷 アメリカ型の機構は、非常に理にかなっていて、個人的には私は正しいと思っています。ただ、「行きすぎた市場原理主義を正さなければならない」という議論が最近出てきているじゃないですか。
運営者 僕にはまったく理解できない話なんです。
三ツ谷 その動きが、「市場による統治ではなく、やはり政府であるとか、企業だろう」とかいう流れになってきた時に、市場の働きが阻害されて生産機構がダメージを受けるのは困ります。
運営者 しかし、日本では市場の失敗がもしあったとしても、それを補完するための財政が660兆円もの赤字を抱えるに至っている。これをもってしても政府を相変わらず信頼し、なおかつ政府も財政出動の正当性を主張するというのは、経済的には正統性を欠く議論だと私は思いますよ。