出でよ、資本主義的人間
運営者 しかし、日本では市場の失敗がもしあったとしても、それを補完するための財政が660兆円もの赤字を抱えるに至っている。これをもってしても政府を相変わらず信頼し、なおかつ政府も財政出動の正当性を主張するというのは、経済的には正統性を欠く議論だと私は思いますよ。
三ツ谷 ただ彼らが非常に巧妙に仕掛けているのは、「この10年、市場原理主義に移行しようとして規制緩和を目指して経済がうまくいかなくなったからこそ財政が出動して、その結果赤字が増えた」というんですね。「この10年間進んだ市場原理主義的な言説が財政を拡大させてしまったんだ」という言い方をするんです。
運営者 そこまで言いますか。相手をするだけ時間の無駄ですね。
三ツ谷 そういう議論を立てている人が結構いるんですが、赤字が増えたのは市場原理主義を不徹底に導入したからなんですよ。もし市場原理主義を徹底的にやってみると経済機構の矛盾がはっきりと出てくるので、ある時期失業率は増えるでしょうし、社会不安に近い状態になったかもしれません。ただ膿はすべて出てしまうので、その後は個人個人が自分に向かい合って、自分自身で規律をつけて資本主義的な人間に生まれ変わって戦いに行くことができたはずなんです。
運営者 まったくその通りだと思いますね。
三ツ谷 となれば、財政は回復して、ここまで赤字をため込むことはなかったと思います。
運営者 野中先生がおっしゃるようにもし「知」が価値を生むのであるならば、個人個人のディシプリンが重要なんですよ。「自分」がなければ、何かを生み出すということはできないわけですから。
僕だって、組織の中で順当に手柄をあげて出世していくというのは面白いと思っていましたよ。だけどね、市場的な発想をすると、自分が身につけた専門能力を市場がもし評価することができるならば、「じゃあお前この仕事やってみろ」ということになるわけじゃないですか。現実的に僕のところにはいろいろな仕事のオファーがあるし、それを受けたり断ったりして私は生きているわけです。んー、ほとんどお断りしてして、誠に申し訳ないと思っていますが。
そうするとですね、組織の中で着々と点数を稼いでいくという生き方に対して、僕自身はあまり価値を感じることができなくなっているんです。能力さえ蓄えていけば、市場の評価によってその能力を移転することは、どんな人でも可能だと思いますよ。
それから、反市場的な反応が、先祖返り的な、あるいは保守反動的な政治傾向を生むのではというお話がありましたが、市場主義の優位の非常に大きな要因として、経済的な視点では市場というのは非常に有効であるということがあると思うんです。資産を保有するときに、国際分散投資が基本であるということを何年か前に教わったんです。なるほどそうだなと。資本市場がもしちゃんと機能しているのであれば、長期的にみれば株式市場のインデックスは必ず上昇するはずです。分散投資しておけばリスクがヘッジされて資産を損耗することはないと。最初はそうかなあと思ったのですが、でもまあそうですよね。それが近代投資理論というやつですか、理屈をちゃんと知らないもので。
じゃあそれであれば、資産を持っている人は市場主義に組みすることができそうだなと思いました。そうするといざというときにはそれに反することを考えて持たざる側の人々にアピールし、団結させる勢力が出てくるのでしょうが、だけど果たして彼らがそうした反市場主義的な行動に経済合理性があると考えるかどうかというと、そこまでバカじゃないんじゃないかなという感じがするんですけど。