庶民の自覚ある者は、リーダーになってはいけない
運営者 そうすると、そうした小市民的な価値観の中になんとかパブリックマインドをすっと潜り込ませて、全員に社会全体の利益を考えてもらうように誘導することができないものでしょうかね。
瀬口 そこのところは、みんな持っていて欲しいのですが、ウエートが違ってもいいんじゃないですかね。
つまりリーダーはパブリックマインドをかなりしっかり持っていていただかければなりません。話を2分割して単純化してしまうと、リーダーというのはどこの組織で働いていても「士」ですよ。それ対してリーダーになり切れない、小市民的な幸せに重きを置く人は「庶」です。この「庶」の方の人は、庶民であることを自覚したら、リーダーになってはいけないんです。
運営者 それは「フォロワーシップ」という概念で、リーダーではないのですがフォロワーとしてリーダーについていくということですよ。
リーダシップが成立するためにはフォロワーシップがなければならないわけです。フォロワーがフォロワーとして確立していなければ、まともなリーダシップは機能しないということですね。
瀬口 そうですね。フォロワーは、「あのリーダーは立派である。ちゃんとしたパブリックマインドを持っている。俺にはまねができない」。そのリーダーを「立派だ」と評価する気持ちがフォロワーとしてのパブリックマインドだと思いますね。
運営者 そう思えば、「あいつにリーダをやらせておこう」と判断できますよね。だからそのリーダに黙って従うことができるでしょう。自発的に彼のリーダシップを支持するということです。
瀬口 そういう人も、「俺はお金儲けができればそれでいいよ。だけどもうけるだけではつまらないから、少しはみんなに貢献したいな」と考えてほしいですね。
運営者 なるほど、「自分は金もうけの鬼であって、世の中には貢献するつもりが全くない。出すものは舌を出すのも嫌」という考え方ではなくて、少しは貢献するべきだと考えてほしいわけですか。
それも僕は、できれば「自分の仕事以外のところで貢献する」というふうに思ってほしいですよね。
瀬口 みんな一生懸命働いているわけですから、仕事を通じても世の中に貢献するし、また仕事以外の分野でも貢献を考えていただきたいものです。
みんながそのように社会に貢献しようと考える大人に育つことができる環境が日本では与えられていないというところが最大の問題ではないかと僕は思います。