「みんなのためにつくす心」は学校では教えない
瀬口 みんながそのように社会に貢献しようと考える大人に育つことができる環境が日本では与えられていないというところが最大の問題ではないかと僕は思います。
それはやっぱり15歳までの小学校の教育と、中学校の教育ですよ。
運営者 それは「義務教育の間に」という意味ですか。
瀬口 なぜ15歳までかというと、そこから上になるとみんな人間としての自立過程に入ってしまうんですね。そこからは今度は自分で物事を考え始めるわけなので、「何かをやれ」と言われると反発するわけです。
運営者 15歳までというのは、教えられたことを素直に受けとめられる期間であるということなんですね。
瀬口 そうです。
18歳になってまで、「他人から何かを教えてほしい」と口を開けて待っている人間は、今度は精神的に歪んでしまうわけです。
運営者 そうしますと、日本では初等中等教育の間にパブリックマインドを教える体制はどうなっているんでしょうか。これは瀬口さんは、教育についてたいへんお詳しいので伺いたいのですが。
瀬口 今の教育ですと、「生きる力」とか、「やさしい心」とか、そういう標語はありますけれど、「みんなのためにつくす心」なんてのはないですよ。
運営者 やっぱり過去の、「護国の鬼となってみんなのために死になさい」という時代の記憶を引きずってるんですかね。
瀬口 すぐ軍国主義に結びつけて考えてしまいますよね。でもそうじゃないんですよ、社会のために尽くすというのは、立派な行為だと教えるべきでしょう。
運営者 そうすると、半世紀以上も前の軍国主義を否定するために、「人間は利己的に生きても構わない、自分ひとりの小さな幸せを守って生きていきなさい」と教えているわけですか。
瀬口 それに近いですよね。「全体主義」という一言の下に、「社会のために尽くす」ということに対してネガティブな価値が植えつけられてしまいますよね。
運営者 それはまずいでしょう。