社会への尽し方は個人個人によって違う
瀬口 全体主義じゃないんですよ、社会への尽し方は、個人個人みんな多種多様なんですから。
運営者 社会のために尽くすというのは、世の中はで生きていくための寺銭というか、税金に近いようなものですよね。
瀬口 ええ。問題はね、社会への尽くし方を一つのフィロソフィーや一つの哲学として全員に共通させようとするからおかしくなってしまうわけです。
多様性を前提として、みんな自立して自由に社会に貢献すれば、それは社会が最も発展するパターンなのです。
運営者 社会への貢献のしかたっていうのは数限りなくあるに違いないですよね。
瀬口 サッカーの選手として貢献することもあるでしょうし、学者で貢献することもできるし、政治家として貢献するのもあるでしょうし、ものを売って貢献することもできるし、何でも貢献できますよ。
運営者 そうしますと、「社会のために貢献しなさい」ということを教える必要はあるけど、どのような形で貢献するかということは、自分が自立して考えればいいということですね。
瀬口 ですから、教育しなければならないことは、「人のために役に立つことは自分にとって喜びなんだ」という、そこのところを直結させることなんです。それはもう感覚だと思うんですよ。つまり、美しいものを見て美しいと思えるかどうかといった感じの。
運営者 美的センスですね。
瀬口 あるいは、おいしいものを食べておいしいと思えるかどうか。そういう感覚の入口があるわけです。
人のために自分が役に立って、どれだけ自分がうれしいと感じるかというのは、人それぞれによって違います。それはそれでいいと思うんです。でもその感覚を高めていってあげることができる仕組みが必要ですよね。
学校教育の中であれば、「みんなのために役に立てば、こんなにいいことがあるんですよ」ということを、先生の口から聞くということはあまりないですからねぇ。
運営者 ふむ。学校教育ではそうした感覚を高める教育をやっていないんでしょうかねぇ。