「偉い」ってどういうこと?
運営者 最近、「偉い」ってどういうことなのかなと考えるんです。たとえば今日だって、リーダーについて話していたのに、「偉い」という語彙は出てきませんでしたよね。
そういうふうに「みんなに喜ばれることをやってるからお父さんは偉いんだ」と子供が実感すれば、これまでの「偉い」という言葉に対するイメージが違ってくるのではないでしょうか。
昔、母親に「日本で一番偉い人はだれ?」と尋ねたら、母親は、「総理大臣かなあ。今天皇陛下じゃないよね」と考えていましたよ。この「偉い」というのは一体どういう意味なのか。当時は、その人がみんなから無条件の信頼を集めていて、その人がやることは絶対に間違うことはなく、畏れすらもいだかれていた。そうした個人のへの信頼によって社会が成り立っているといった存在感、それが「偉い」という言葉に付随していたように思うんです。
だけど僕は、現代においては、「偉い」というのは、社会においてその人に与えられている役割をきちんとこなすことができることだと思うんです。だから昔と比べれば、偉いという言葉の多くの部分が失われています。だけどそれでいいんです。そうすれば、人は無意味に偉ぶらなくなりますから。
「自分が偉い」と思ったら、他人の意見を聞かないし、自分の意見を人に押しつけようとしますよね。それこそ最初に瀬口さんが話されていたことですが。でも、きっと個人個人の能力をフルに発揮してもらい、その照準を「社会に参加する」という方向に合わせてもられば、1人の「偉い」個人が社会をディレクションしているケースよりも、社会の産み出すアウトプットの総和は大きくなると思うんです。
だから、もう「偉い人」というのは要らないのではないか。リーダーも偉いわけではなくて、自分に与えられた「リーダー」という役割を果たすだけの人でいいのです。どんな人でも自分の役割をきちんと果たせば、それはそれで十分偉いのではないか、そんなふうに思ったりもしますね。