ロミオとジュリエットの街として知られる北イタリアの都市、ヴェローナ。私ども夫婦がここを訪れるのは、今年で10回目となります。すっかり病みつきになってしまったのは、古代ローマの競技場アレーナで行われるオペラ、アレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭です。
ちょうど100年前の1913年の8月10日、ジュゼッペ・ヴェルディ生誕100年を記念して、アレーナで《アイーダ》が上演されました。そして、今年はヴェルディ生誕200年。アレーナのオペラ公演はオール・ヴェルディ・プログラムです。ヴェルディ・フリークを自認する私どもにとって「聖地」への巡礼を欠かすわけにはいきませんでした。
8月7日、JALのイタリア直行便が無くなってしまったので、アリタリアでローマ経由、ミラノに入ります。久しぶりのアリタリア。マニフィカ・クラス(ビジネス・クラス)のシートはフルフラットになる快適なもので、食事とワインの美味さは相変わらずです。面白いのは、JALであれば「和食」と「洋食」のチョイスがあるところ、メニューがひとつしかないこと。あくまでも提供するイタリア料理に自信をもっている、ということなのでしょう。
3年ぶりのミラノ・マルペンサ空港では、到着ロビーからレンタカー乗り場や鉄道駅のある地下1階へ降りるエレベータが増設されており、荷物カートを押したままで待たずに降りることができました。ずっと工事中だったレンタカー駐車場もすっかり整備され、Hertzの場所も以前とは反対側に移動しています。相変わらずなのは、予約したとおりの車種ではなく、別の車種を提示されること。どうやらAT車が少ないのである車で間に合わせているように思われます。今回は、狭い街路が入り組んでいるイタリアの古い市街を走行するにはやや大きすぎるメルセデスを借り、いざ出発です。
その日はミラノに泊まり、翌日、ミラノの南東にあるパヴィアの修道院(Certosa di Pavia)に立ち寄ってからヴェローナに入りました。
1.《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》8月8日
ヴェローナでは、ここ数回定宿にしていたアッカデミア・ホテルではなく、ブラ広場(アレーナがある広場)のすぐ脇にあるコロンバ・ドーロに宿をとりました。同じ4つ星で、設備、静かさ、朝食は申し分なく、なんといってもオペラに3分で行けるのが強みですが、シャワーのお湯の出が悪いのが唯一の欠点です。
オペラのチケットはインターネットで予約してあり、その予約票のハードコピーを提示すればそのまま入場可能とのことでしたが、プリントのバーコードがややかすれているのが不安でチケットオフィスに行き、通常のチケットを発券してもらいました。
そこで、チケットがあれば「アレーナ・ディ・ヴェローナ博物館」に無料で入れると聞き、行ってみることにしました。3年前にはなかった博物館で、ブラ広場から北へ徒歩10分ほど、聖アナスタジア教会の前にあります。
オペラの衣裳やゆかりのものが展示してある中、興味深かったのは、ヴェルディとプッチーニの自筆譜です。ヴェルディが使っていた五線紙は、A3縦より少し小ぶりのもので、五線のみが印刷されており、オーケストラ総譜の各パートの楽器名は手書きになっています。ところがプッチーニが使っていた用紙は、ちょうどA3縦くらいの大きさで、五線だけでなく各段の左側にあらかじめ楽器名が印刷されているものでした。そして、最晩年に書かれた《トゥーランドット》ではさらに判型が大きくなり、音符は鉛筆で書きこまれていました。ペンでなく鉛筆で書かれた自筆譜はとても珍しいそうで、解説によれば、体力・気力の衰えを自覚したプッチーニがいつでも書き換えられるように鉛筆を使ったのではないか、とのことです。
この日は、天気予報によれば雨の心配もあったのですが、空模様は曇りのままなんとか持ちそうです。会場に入ってみると、雨の予報がある場合には用意される防水シートが平土間席の背もたれに掛けられていなかったのでひと安心。《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》の開幕です。
指揮:アンドレア・バッティストーニ
演出・装置・衣裳:ウーゴ・デ・アナ
振付:レダ・ロヨディセ
合唱指揮:アルマンド・タッソ
ヴィオレッタ:ラナ・コス
アルフレード:フランチェスコ・メーリ
ジョルジョ・ジェルモン:ダヴィッド・ババヤンツ
フローラ:キアーラ・フラカッソ
アンニーナ:アリーチェ・マリーニ
ガストトーネ:ステファノ・コンソリーニ
ドゥフォール男爵:フェデリコ・ロンギ
ドビニー侯爵:ダリオ・ジョルジェレ
グランヴィル医師:ヴィクトル・ガルシア・シエラ
ご当地ヴェローナ出身の気鋭の若手指揮者、バッティストーニはやはり大変な人気。そしてそれに恥じない熱のこもったいい演奏でした。前から2列目、中央やや左より(9番、11番)の席だったので、彼の指揮ぶりがよく見えました。
ダニエル・オーレン以上の飛んだり跳ねたりは、この作品ではちょっとやり過ぎ(あの静かな前奏曲でさえ跳ねるのですから)の感もありますが、出てくる音楽は、単に若さがほとばしるというのではなく、しっとりとした情感も湛えながらメリハリの効いたものになっているのです。
2012年2月東京二期会《ナブッコ》で聴いたときのインテンポでぐいぐい引っ張る「熱いけどクール」なイメージとは少し異なるのはやはり曲のせいでしょうか、見た目よりも落ち着いた、カンタービレの美しさに満ちた演奏でした。相変わらず指揮台は置かず、全て暗譜でした。オーレンよりうなり声は控えめ。
歌手陣も粒がそろっていましたが、その中でもやはり光っていたのがテノールのフランチェスコ・メーリ。彼の声はこのアレーナで07年、09年の《セヴィリアの理髪師》で聴いていますが、リリコでありながらよく通る強い声は健在で、ベル・カントよりも重い役でも十分に通用することを見せつけてくれました。
クロアチア出身のソプラノ、ラナ・コスも素晴らしい演奏。題名役ですから、カーテンコールでも最も大きな歓声と拍手をもらっていました。メーリと同様、リリコ系ながら直進性のある強めの声で様式感も確か。そしてなんといっても容姿が美しいので説得力があります。
ただし、今回の演出では、第1幕終わりの大アリアを下着姿になって歌うので、どうも見た目の方に気をとられすぎてしまうきらいもありました。ネトレプコほどの派手さはありませんが、若い(1984年生まれ)だけにまだ体型が維持されているのです。
メーリとコスに共通していたのは、1万5千人がはいる広い会場でも恐れることなく弱声をうまく使い、表現の幅を広げていたことです。私は前の方だったのでよくわかりませんが、おそらくスタンド席まできちんと届いていたのでしょう。満場が息をひそめて耳を澄ませている雰囲気がありました。
アルメニア出身のバリトン、ダヴィット・ババヤンツは、印刷されたプログラムのジェルモン役(4名)には名を連ねていないので、アンダー・スタディだったのかもしれませんが、なかなか立派な演奏で、観客からは大きな拍手をもらっていました。
ヴェローナでウーゴ・デ・アナのプロダクションを私が観るのは、《ナブッコ》、《セヴィリアの理髪師》に続きこれが3つ目です。その前2作や、グレアム・ヴィックによる《ラ・トラヴィアータ》に比べると今回はややおとなしめ。それでも彼らしい才気は感じられます。室内で展開される椿姫の物語を広いアレーナの中でどのように見せるのかという難問を、今回は、舞台中央部に大きな額縁を設定することによってうまく解決していました。
舞台中央の額縁の中は、ちょうど通常のオペラハウスのステージくらいの大きさを区切っています。第1幕ではほとんど平面上に寝ていますが、上記のように第2幕フローラの夜会のシーンでは斜めに持ち上がったりします。
舞台後方に見えるシャンデリアはこうして写真に撮ると宙に浮いているようにみえますが、実際にはすり鉢状石段の上段に置かれた巨大な作り物で、バレーシーンの後にはここから金色の花火が打ち上げられてパーティー気分を盛り上げました。花火といっても《セヴィリアの理髪師》の時のような本物の花火ではなく、サッカー・ワールドカップの優勝チーム表彰式などで背景に吹き出す金粉のあれです。
面白いのは、夜会の会場でヴィオレッタとアルフレードがふたりきりになるシーンは、他の客たちはステージから完全に退場するわけですが、この演出では、彼らは額縁の外に出るだけで、その外側、上手と下手の袖のステージ上にとどまります。つまり観客にはフローラの邸の別室で色々なことをしている彼らが見えるしかけです。アレーナの横に広がった舞台ならではの特徴を生かした演出といえましょう。
なお、3年前までに比べて、今年のステージは、オケピットの奥行が深くなり、その分横幅は少し詰められて、舞台袖の観客席に近い空間が大きくなっているようです。
オケの並び方にも変化があり、以前は下手手前にチェロが並ぶ変則的な配列でしたが、今年は、下手手前に第1ヴァイオリン、その奥にチェロ、上手手前に第2ヴァイオリン、その奥にヴィオラという通常よくある配置に変わっていました。ピットの奥行が深くなったことによる変化でしょうか。以前ほどオケ全体が横に広がっていないので、観客席の位置による音のバランスの悪さは改善されたかもしれません。
ちょっと驚いたのは、第1ヴァイオリンに下の写真のような美女がいたことです。まるで下着のスリップ姿でいるように見えませんか?近頃若い女性に流行りのレースの縁取りがついた短いスカート丈のワンピースを着ているからです。街で歩いている姿をみてもオジサンはドキッとしますが、ましてやロングドレスがあたりまえのオケピットの中においておや。