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2013年9月ミラノ・スカラ座来日公演《ファルスタッフ》 9月8日東京文化会館

武田雅人

指揮:ダニエル・ハーディング
演出:ロバート・カーセン(再演演出:ロレンツォ・カンティーニ)
美術:ポール・スタインバーグ
衣裳:ブリギッテ・ライフェンシュトゥエル

ファルスタッフ:アンブロージョ・マエストリ
フォード:マッシモ・カヴァレッティ
フェントン:アントニオ・ポーリ
アリーチェ:バルバラ・フリットリ
ナンネッタ:イリーナ・ルング
クイックリー夫人:ダニデラ・バルチェッローナ
メグ:ラウラ・ポルヴェッリ
カイウス:カルロ・ポージ
バルドルフォ:リッカルド・ボッタ
ピストラ:アレッサンドロ・グェルツォーニ

 前回(2009年9月)の来日公演では、ヴェルディ演奏の総本山というべきミラノ・スカラ座が(悪い方に)「変質」してきているのではないか、という印象を持ちました。今回も、イタリア人指揮者が登壇しないということで、ますますその危惧が強く、高額なチケット(S席62,000円)を購入すべきかどうか、ずいぶん迷ったものです。
しかしながら、この《ファルスタッフ》公演は、十分に満足する内容となりました。ナマの上演を観る機会が少ないこの傑作を現代最高レベルで味わうことができたと思います。

 ご承知のとおり、《ファルスタッフ》は、ヴェルディ最後(79歳)のオペラであり、彼が書いた26のオペラ(改訂・改題作を入れると28作品)の中でふたつしかない喜劇作品、しかも、もうひとつの喜劇《一日だけの王様》(同じスカラ座で《ファルスタッフ》の53年前、ヴェルディ26歳の時に上演して散々な失敗に終わった)のリヴェンジの意味もある、という特別な作品です。
第3作目の《ナブッコ》で成功を収めて以来51年間、ヴェルディはこってり重い銘醸赤ワインのような悲劇を書き続けてきましたが、最晩年にいたって芳醇でありながら溌剌とはじけるような軽快さもあるシャンパンのようなこの作品を作り上げたのです。

 プログラム掲載の解説文でエミリオ・サーラが「《ファルスタッフ》の行間からは(特にロッシーニの)オペラ・ブッファの伝統がにじみ出しているとはいえ、カセッラがイタリアのすべての現代音楽の出発点と評した譜面は、オペラの伝統を超えた境地に達している。」と言っています。
九重唱やフーガなど練達の巨匠ヴェルディが精魂をこめて織りあげた精緻で意外性に富む複雑な構成を持つこのオペラは、才能あるイギリスの若手指揮者ハーディングにとっては、伝統的なイタリア・オペラとは違う面があるために、却ってやりやすい演目であったといえるかもしれません。まさに、きらきらと光る発泡性のワインのような、いきいきとして楽しい演奏を聴かせてくれました。

 カーセン演出、スタインバーグ美術、アイフェンシュトゥエル衣裳の新しいプロダクション(2013年1月初演)は、英国ロイヤル・オペラ、カナディアン・オペラとの共同制作とのこと。1950年代への置き換えが全く不自然に感じられないシェイクスピア芝居らしさと英国の雰囲気に満ちていました。
特にガーター亭の場面は、同時に来日している《リゴレット》のフリジェリオの舞台と対蹠的なもので、無骨ながら重厚な木目の壁パネルや家具調度、慇懃なウェイターたちの物腰などが、いかにも英国の格式ある会員制クラブを彷彿とさせて英国を感じさせてくれます。その壁パネルを機能的に使って場面転換をすばやくこなしてしまうところも画期的です。
 特に第3幕第2場、ウィンザーの森を古色を出した木のパネルと背景の星空だけで大胆に代替してしまうだけでなく、最後の<この世は全て冗談さ>と歌うフィナーレのフーガのシーンでは、再びガーター亭のダイニングルームが再現され、赤いテイルコートに着替えていかにも紳士然としたファルスタッフが大団円を取り仕切るという終わり方の鮮やかさは特筆に値するでしょう。
 しかも、そのダイニングルームの天井から下がるシャンデリアは、スカラ座のロビーにあるものとよく似た形をしているところも、パロディーに満ちたこのオペラのフィナーレにふさわしい洒落っけに満ちた仕掛けで、ミラノの観客はにやりとしたかもしれません。
 また、第2幕第2場のフォード邸の場面を、1950年代のアメリカのホーム・コメディーに出てきそうな機能的なキッチンにして、重厚な紳士クラブとの対比により振興成金の家らしい雰囲気を出そうとしているところも、いかにもイギリス人らしいセンスで面白いと思いました。

 ひとりの主役の出来が全てを決める性質のオペラではないものの、やはりこの作品における題名役ファルスタッフの占める位置は大きいといえましょう。
 特に、伝統的なコンメーディア・デッラルテの類型的人物であるパンタローネの系譜にありながらそれを大きく逸脱するスケールの大きさとアクの強さ、そしてちょっぴりの哀しさとそれさえも飲み込んでしまう一種の威厳といったキャラクターを十分に強調しているこの演出では、なおさらです。従来百戦錬磨の大バリトンだけが到達しえたこうした境地を43歳のアンブロージョ・マエストリが既にわがものとしてしまっているのは驚異的といえましょう。とはいえ、前回のヴェルディ・イヤー(没後100年の2001年)で抜擢されて以来、有り余る声と役のイメージにぴったりの巨躯を活かして(上演機会が多いとはいえない)この役を既に100回以上歌っているというのですから、それも当然かもしれません。まさに現代最高のファルスタッフ。

 この役にぴったりの美しくも気品のあるフリットリのアリーチェ、低音のドスを効かせるバルチェッローナのクィックリー夫人をはじめとするキャスティングも素晴らしく、歴史的名演といえる公演になっていたのではないでしょうか。
 ソロの場面を持つ若手歌手の中ではフォード役のマッシモ・カヴァレッティが非常に健闘していたと思いますが、フェントン役のアントニオ・ポーリ、ナンネッタ役のイリーナ・ルングは、上に名をあげた実力者組に比べると無難な出来というレベル。
 特に、第3幕で妖精の女王を歌う場面でのルングは、端正な謡ぶりは好感が持てるのですが、この歌においては、後述するジルダを歌ったアレハンドレスのようなベルカントの発声による豊かな響き(リンギング)があってほしい、という気がしました。


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