指揮:ジャナンドレア・ノセダ
演出:ロレンツォ・マリアーニ
美術:マウリツィオ・バロ
衣装:マルリツィオ・ミレノレッティ
リッカルド:ラモン・ヴァルガス
レナート:ガブリエーレ・ヴィヴィアーニ
アメーリア:オクサナ・ディカ
ウルリカ:マリアンネ・コルネッティ
オスカル:市原愛
シルヴァーノ:フェデリコ・ロンギ
サムエル:ファブリツィオ・ベッジ
トム:ホセ・アントニオ・ガルシア
判事:ルカ・カザリン
ノセダにしっかりと統率され緊張感に満ちた音楽の演奏レベルは非常に高く、全体としては十分に楽しめる公演。しかしながら、演出については、あまりぴんとこないものでした。
グスタフ3世のスウェーデンではなく、オリジナルどおりのボストンという設定でしたが、時代も場所も中途半端で、アメーリアが第1幕では「グレート・ギャツビー」のデイジーのような服装で出てきたきたかと思うと、最終幕の舞踏会ではロココ調(というよりは「ホフマン物語」のオランピアみたいな)のクリノリン入りドレスで登場(仮装だから、ということか?)。
装置はシンプルで象徴的、それなりに美しいのですが、初日ということもあってか登場人物たちの動きがぎこちなく、すっきりと見えません。宝塚の男役風のオスカルは、食事用のワゴンの上に腰かけたり、立ったり、と傍若無人、どちらかというとオルロフスキー公のように見えます。
第3幕レナート邸の場面でトムとサムエルを引き入れて総督暗殺の密談をする場所が夫婦の寝室、というのはなんとも不自然。
ソリストは、特に女声陣のレベルが高く、なかでもアメーリア役のオクサナ・ディカは稀にみる硬質で強い声。声を聴くだけでカタルシスを感じられるような威力を持っています。ただし、道ならぬ恋に悩む人妻という風情にはやや乏しいと感じたのは、歌い方だけではなく、せっかく容姿に恵まれていながら、似合わない衣裳(短すぎる裾丈)や身のこなしにあったようです。下肢に障害があるのであれば指摘するのは気の毒なのですが、特に歩き方がぎこちなく、貴婦人らしさがありません。プリマドンナとして大成するためには、もう少し工夫が必要でしょう。
いずれにせよ、ヒロインの衣裳が一番珍妙だったのはちょっと気の毒でした。ウルリカの家にはお忍びで出かけているはずで、そのあとの刑場での草摘みも人目を忍ぶものであるはずなのに、なぜ頭にティアラをつけ、ドレスにはラメが入っているのか。仮面舞踏会では頭に鹿の角のような飾りが...。
コルネッティはすでに各地の一流劇場で実績のあるベテラン。期待どおりのドスが効いた低音を響かせ、迫力あるウルリカを聴かせてくれました。5月には新国立《ナブッコ》でのアビガイッレも聴きましたが、やはり本業のメッゾの方がいいようです。
オスカルを歌った市原愛は、コロラトゥーラとしてはもう少しブリリアントな切れがあってもいいという気はするものの、安定した歌唱と演技。ほっそり小柄の体型も含めてこの役によく合っていたと思います。
リッカルドのヴァルガスは、例によって悪くはないのですが、聴き手を熱狂させるほどの突き抜けてくるものもない、無難な出来、といったところ。フィナーレの場面は、君主としての度量の大きさを見せるところですが、ここでも演出の「中途半端さ」が出たというべきか、痛そうに腹を押さえながら立ちあがってよろけながら歌うというしまらない図式になってしまいました。
バリトンのヴィヴィアーニは、響きの良い力強い声で、カーテンコールでも大きな拍手をもらっていましたが、私にはなんとなくしっくり来ないレナートでした。第1幕の気高い友情に満ちたアリア、第3幕の怒りと暗い絶望に満ちたアリア。両方とも楽譜通りに歌えばそれなりに拍手はもらえる美しいカンタービレに満ちた名曲です。それだけに、当方が期待するものも大きくなってしまうせいでしょうか。レナートという男の役の性根をしっかりとつかみ取った表現ができれば、さらに深い感動を得られるのに、と思ってしまうのでした。
サムエルとトムを歌ったベッジ、ガルシアは、本格的な厚みのあるバスで、理想的なコンプリマリオ(準主役)。合唱団の男声陣も素晴らしく、各幕フィナーレのアンサンブルシーンは、ヴェルディの特徴であるコンチェルタートの面白さを十分に味わせてくれました。