この日も昼間はヴェローナ市内をぶらぶら。音楽祭100周年の2013年にできた「アレーナ・オペラ・博物館(AMO)」に行ってみました。
一昨年も来たことがあるのですが、今回は、ノーベル文学賞受賞の劇作家、演出家、俳優にして舞台美術なども手掛ける万能の芸術家ダリオ・フォーがマリア・カラスをテーマにした絵画の展覧会をやっていたからです。カラスの生涯のいろいろな場面を大胆な描線とマチスのような原色系の多彩な色使いで描いていました。
ダリオ・フォー自身が若い頃、スカラ座の舞台美術をやっていたときに実物のカラスに出会い、その声に魅了された経験があるそうで、最近になって改めて大歌手を偲ぶ連作を思いついたのだそうです。
博物館の常設展示の方でも、カラスの衣裳などが展示されていましたが、特に興味深かったのはヴェルディとプッチーニのオペラ自筆譜のコピーの展示です。ヴェルディの総譜は五線紙の各段に手書きで楽器名が書き込まれていますが、プッチーニの場合は楽器名も予め印刷された用紙が使われていました。どちらも小節のタテの線は手書きで、定規を使わない少し曲がりくねったものです。
《イル・トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》は五線がタテに24段並んでいる用紙が使われており、それより後期でオーケストレーションも多彩になっている《アイーダ》がなぜか上下20段の用紙です。《ファルスタッフ》は32段。ソロパートだけでも九重唱がある複雑な構成だからでしょう。
《蝶々夫人》もちゃんと数えていませんが32段だったと思います。《トゥーランドット》は2倍の大きさの紙が使われ、五線の間隔も大きなものになっていますが、40段くらいありました。一昨年に観た時は《トゥーランドット》のみ鉛筆書きで書かれている(他はペン)という解説がついていましたが、今年はなくなっていました。
この夜のオペラはそのプッチーニの《トスカ》。私がこの作品をアレーナで観るのは、1998年以来です。音楽的にはアレーナでの演奏に合っている演目だと思うのですが、舞台がローマに実在する場所であるため装置作りが難しいのか、それほど上演回数は多くないようです。
劇場での公演では、第1幕のサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、第2幕のファルネーゼ宮殿、第3幕のサンタンジェロ城の内部は外観をリアルに写した装置が使われることが多いのですが、広い野外のアレーナでそれをやるとなると舞台転換が大変です。
ところが今回のウーゴ・デ・アナのプロダクションは、思い切った割り切りでそれをうまく処理していました。舞台にはサンタンジェロ城のシンボルである大天使ミカエル像の巨大な頭部、剣を持った右手、鞘を握る左手(鞘はなし)が背景にどんと置かれているだけ。それでいながら、その手前で進行する各幕それぞれの場面は小道具を使ってそれなりに雰囲気を出しているのです。すり鉢状の石段を背景としておかれた巨大な天使像の前では、登場人物たちが小さく見え、運命に翻弄される人間の悲しさと健気さを表しているように見えます。
第一幕でアンジェロッティの脱獄を知らせる大砲の音は、野外オペラならではの演出にびっくりさせられました。通常のズドーンという遠い音ではなく、至近距離のバン!という腹に響く乾いた音。音響のよい舞台後方の石段の高い位置から本物(?)の大砲が発射されたのですからたまったものではありません。観客席から思わず悲鳴があがりました。テロの時代にあまりにリアルな爆発音は困りものです。舞台上方に硝煙が漂い残ったように、観客席の動揺はしばらく収まりませんでした。
指揮:ユリアン・コヴァチェフ
演出・装置・衣裳:ウーゴ・デ・アナ
トスカ:エレーナ・ロッシ
カヴァラドッシ:ダリオ・ディ・ヴィエトリ
スカルピア:アンブロージョ・マエストリ
アンジェロッティ:デヤン・ヴァチコフ
堂守:フェデリコ・ロンギ
スポレッタ:パオロ・アントニェッティ
シャローネ:ニコロ・チェリアーニ
看守:ロマーノ・ダル・ゾーヴォ
さて、この公演。今年のアレーナで初めて、雨に見舞われました。
第1幕が始まってしばらくして雨粒がぽつり。すると、オーケストラの弦楽器がすぐに逃げ出します。空模様が怪しい時は、ヴァイオリンの人たちは足元にケースを持ち込み、まずは楽器をそれに入れますが、おおきなチェロとコントラバスはそうはいきません。そこでまずはチェロの人たちから逃げるのです。そのためアレーナではチェロが出入口に近い下手前列に並んでいます。
中断すると、すかさず案内係がビニール製の雨合羽を売り歩きますが、私たちは比較的出口に近い場所にいたので、スタンド下のフォアイエに避難。プロセッコ(発泡性ワイン)を飲みながら待つことにします。外では雷が鳴っています。
結局、3回の中断があって通常45分ほどの第1幕に2時間ほどかかりましたが、その後天候は回復。オペラは最後まで上演されました。再開後は途中から歌わなければならなかった歌手は大変だったと思います。
雨天中断中、フォワイエで待つ観客たち
演奏の方は、なんといってもスカルピアのマエストリが圧巻でした。持ち前の重量感あふれる声でトスカを追い詰め、いたぶる様は迫力があります。
トスカのロッシとカヴァラドッシのヴィエトリはまずまず、といったところ。
トスカの<歌に生き、愛に生き>(第2幕)が上手に歌われると私は条件反射的に涙が出てきてしまうのですが、今回は泣かせてはくれまでには至りませんでした。
カヴァラドッシの<妙なる調和>(第1幕)と<星も光りぬ>(第3幕)も輝かしい声で歌われたのですが、それが広い会場に拡散していってしまう感じでした。素晴らしい演奏だとその逆に視野が狭まって会場の空気が歌手のまわりに凝縮されていくような感じを味わうことができるものなのですが。
雨による中断やら大砲のぶっ放しやらで落ち着かない雰囲気が残っていたせいもあるのかもしれません。
フィナーレのトスカ。サンタンジェロ像の上に上り十字架をかかげて幕。
ゼーヴィオ(Zevio)の街
8月15日にヴェローナを発ち、ミラノに向かう途中、反対方向にはなりますが、ヴェローナ市街から東へ7~8km行ったところにあるゼーヴィオという街を訪れてみました。
今回の旅は、マリア・カラスに何かと縁があったので、カラスの夫メネギーニの屋敷があったこの街にも足を延ばしてみようと思ったのです。
ヴェローナで観光ガイドをしているミケランジェロという人が書いている日本語のブログの記事でここを知りました。
とりあえず、カーナビを「ゼーヴィオ中心部」にセットして街に向かいます。着いたところは、教会を中心にした街の広場。そこにあったカフェで一服。マリア・カラスゆかりのメネギーニの屋敷はどこか聞いてみると、若い店員は知りませんでしたが女主人が教えてくれました。すぐそこの広場の角を曲がったところにある、と。そこに行ってみると、通りの名前が「メニギーニ通り」。もう何年も人が住んだ形跡のない、大きな屋敷の廃屋がそこにありました。
カラスの伝記では、メネギーニとの結婚当初、ヴェローナ市内のアパートに新居を構えたという記述も見受けられますが、前述のブログ記事によると、カラスは公演のない時は郊外のこの屋敷に住み、ピアノを弾きながら歌の練習をしていたそうです。
ゼーヴィオ市ではマリア・カラス財団と共同世紀の歌姫が滞在したことを記念するプロジェクトも進んでいるとのことですが、この廃屋には、シルミオーネの別荘に掲げられていたような記念プレートなどもなく、建物は荒れるにまかされていました。
メネギーニとの結婚に関しては、親族との間でもめ事もあったそうです。メネギーニ氏の死後、相続争いで宙に浮いている物件なのかもしれません。周囲はアグリツーリスモの農園、民宿が散在する美しい田園地帯です。世界中にいるカラスファンのことを考えると大事な観光資源と思われるのにもったいないことだと思いました。
その日はミラノに一泊。翌日、マルペンサ空港から成田に帰りました。