マクベス:サイモン・キーンリサイド
マクベス夫人:リュドミラ・モナスティルスカ
バンクォー:ライモンド・アチェト
マクダフ:テオドール・イリンカイ
マルコム:サミュエル・サッカー
医師:ジフーン・キム、
夫人の侍女:アヌーシュ・ホヴァシニアン
指揮:アントニオ・パッパーノ
演出:フィリダ・ロイド
再演演出:ダニエル・ドーナー
美術:アンソニー・ワード
照明:ポール・コンスタブル
振付:マイケル・キーガン=ドラン
なんといってもモナスティルスカの歌唱をナマで聴けることを楽しみにしていました。そして、それは期待通りのものでした。現役最強のマクベス夫人といっていいでしょう。鋭く強い声、劇的な表現力、正確で敏捷性十分のアジリタのすべてがそろっており、その圧倒的な迫力と凄みはマクベス夫人という特異なキャラクターを際立たせていました。
声の力という点ではマリア・グレギーナも同格でしょうが、夫人の邪悪で冷徹な意志の表現という点でモナスティルスカの方が理想的です。地声は美声なのですが、響きのコントロールと表現力で独特の色合いを出すことができるようです。
そしてシェイクスピアの本場、イギリスが誇る性格バリトン、キーンリサイドのマクベスも満足すべきものでした。今年に入ってからキャンセルが相次ぎ本当に来日するのだろうか、という話もありましたが、特に変わりはなかったように思います。典型的なヴェルディ・バリトンとは別の歌い方が要求されるこの役において、彼の演技力、表現力が生きていました。
当代最高のマクベス夫妻を味わう公演であったといえましょう。
パッパーノの指揮は手堅いもので、私の好みではもう少し煽り立てるような熱気が足りない気がするものの、第1幕、第2幕それぞれの幕切れに置かれたヴェルディの特色であるコンチェルタートの立体的な構築などはさすがと思わせるものがありました。
問題だったのは、説明過剰なロイドの演出です。たとえば第1幕フィナーレでは、舞台中央に血だらけのダンカン王の死体(その姿自体は、ブレラ絵画館にあるマンテーニャの「死せるキリスト」にそっくりで面白いのですが)が強いライトのもとに晒されたままで音楽が進行するので、前半がア・カペラで歌われるなどの創意あふれたコンチェルタートの面白さに観客の意識が集中できません。
魔女たちの合唱シーンでも、無理な振り付けによって動く場面があってかえって滑稽に感じられるところがありました。魔女たちの扮装をした役者やダンサーを頻繁に登場させて、劇の進行役をつとめさせるという演出自体はよくあるものですが、合唱シーンの合唱団員にまで動きを振付けた結果、ぎこちない動きになってしまったわけです。歌い手の生理を考えない上滑りした演出の弊害といえましょう。
また、バレーを省略する場合に第3幕と第4幕の間の幕間を省略して連続演奏するのはよくあることですが、第3幕フィナーレのマクベスとマクベス夫人の二重唱のあと、彼らが眠る2台のベッドがそのまま舞台に残され、第4幕冒頭の<難民たちの合唱>にそのまま入っていくのは、わけがわかりません。
スコットランドの亡国の民たちは、その場に眠るマクベス夫妻たちのベッドを無視しながら舞台を埋め尽くして歌うのです。眠りを奪われたマクベス夫妻ということを表したかったのかもしれませんが、観ている聴衆にとってはなんとも落ち着かないものですし、ベッドの上で身じろぎもせずに横たわる主役歌手にとっても休息にはなりにくい演出です。
そのせいかどうかはわかりませんが、第4幕に歌われるマクベス唯一のアリア<哀れみも、尊敬も、愛も...>は、キーンリサイドにしては精彩を欠いた出来であったように思われます。