やっぱりカラヤンは偉かった
だからカレーラスやグルベローヴァを呼ぶことができたわけです。それでそういう歌手を、自分のオペラのプロダクションに3年くらい拘束して、じっくり練習からやる。でもレコーディングと抱き合わせだからできるんですよね。次に舞台に乗せる前に舞台稽古するときは、とりあえずオーケストラはいらないから、前もってレコーディングした音をカラオケに使って、演技の稽古だけやる。最後にオケもなにも全部あつめて本番の舞台が実現する。非常に効率的なんですよね。
批判はあったけれど、ではそうでなければ今の資本主義の世の中でどうやって金のかかるこれを継続的にやっていくのか。まあビル・ゲイツが100億円の基金でもつくればできるよ。だけどね、通常の経済的原則の中では、そうでもなければなかなかできない。ましてや単年度主義のやり方では……。
新国立劇場って結構ガチガチにやってるんですか。
井上 予算という意味ではもう、結構ガチガチ。
手塚 国の機関だったら、予算が成立するのは3月だから、予算が成立してから始めるとすると、とんでもないことですよ。
井上 でもそれに近い感じ。
手塚 世の中の流れがどんどん速くなってくると、長期のコミットメントがしにくくなる。アバドだって今年、ベルリンフィルの常任指揮者を辞めちゃうわけでしょう。要は、終身指揮者とか、終身ザルツブルグ音楽祭芸術監督なんて成立しないわけですよ。
そうすると、カラヤンみたいな個人がコミットとして、「向こう30年間続けるから、その間ずっと積み上げで行こう」なんていうことはできなくなるわけです。
在任期間中の5年間で、ベートーベンの交響曲全集と、ワーグナーの「指輪」とブルックナーの交響曲全集を全部録音しようと思うと、かなり詰まったスケジュールをこなさなければならなくなってしまう。アバドも相当CDを量産しましたよね。ベルリンで。
井上 5年前に「ワーグナーを」というブッキングをして、いざ5年後になってそのアーティストがその時にやりたいものがワーグナーであるかというと、実は全然違ったりするわけです。だけどそのやりたくなことをやらなければならない。そこでもう、気持ちの上ではちがっちゃってるように私は思う。
池原 後、声が出なくなってしまったりしてね。
シノポリみたいに死んでしまう人もいるし。
手塚 朝比奈隆さんの2002年のコンサートスケジュールなんかどうなってたんでしょうね。急になくなっちゃって・・。大賀さんも文化村で01年末に第九の4楽章だけ振るという話になってたみたいだけど、確か11月に中国かどこかで指揮していて心筋梗塞かなんかで倒れて、キャンセルしたんじゃないかな。まあ、ソニー会長の地位を使った結構な旦那芸の感じですが・・・。
池原 ジェームス・レバインもますます太くなって、いつも「大丈夫かな」と思ってますよ。どう見ても危ないよね。
手塚 ほとんど"くまちゃん"みたいになってるもんね。
この座談は2002年正月に行ったものです。