三木稔の「春琴抄」
運営者 じゃ手塚さんは、「ニーベルンクの指輪」に嵌るにしても、筋から入ったのではなく、音楽から入ったと、こういうことですか。
手塚 渡辺護って知ってる? 東大美学科の教授をやっていた、日本のワーグナー学者の草分けの1人で、『リヒャルト・ワーグナーの芸術』を書いた。
これが私の人生観のバイブルでして、つまりワーグナーの楽劇の筋を総て解説していて、音楽も解説して、ひたすらワーグナーを心理分析して、ショーペンハウエルによるとどうだとか、フロイト流に解説するとこうだとか書いてあるわけ。「ここでローエングリンの白鳥の騎士が出てきて乙女を救うのには、こういう意味がある」とか。そこでずいぶん人生観を学びましたね。
高校2年生のときに、「トリスタンとイゾルデ」を聞きながらそれを読んでいたな。
運営者 そういうのはね、「高校生は決して読んではいけない本」に指定するべきですよ。R18ですよそんなもの。
手塚 もうちょっと大人にならないと読まないかな。
運営者 いや、最近の高校生は大人になったってそんなものは読まない(笑)。
手塚 あるところで知り合った女性なんだけどね……。
運営者 手塚さんいろんなところで女性と知り合いになりますね(笑)。
手塚 なんと中学の時に泉鏡花を読んでいて先生に怒られたと。「君ちょっとこれは早いかな」って。
運営者 『春琴抄』は読んでもいいのに、泉鏡花を読んではいけないという法はない。
手塚 「春琴抄」ならいいのかね……。ところで三木稔のオペラ「春琴抄」って聞いたことある?
もしこれから何年間かの間に東京でやるのなら、見に行くべきだよ。日本のオペラの中で最高傑作の一つだと思ってる。ワグネリアンである私が、世界に誇れる日本の「トリスタンとイゾルデ」と申し上げましょう。
なぜか。まず三木稔は、フルオーケストラを使いながら、オペラのセリフの世界を、二十弦もあってやたらハデな音が出る琴と三味線3本の伴奏でレチタティーヴォをやったわけ。チェンバロの替わりだね。原作は谷崎で、演出は武智鉄二。最後に佐助が目を刺すときに、その瞬間に何が起きるかというと、武智彼の演出だと、目の前の舞台からは目も眩むような白いナトリウム光がさしてきて、観客からは何も見えなくなってしまうわけで。
そうして舞台が真っ白になった瞬間に舞台の下から、それまで普通の明治時代の家のセットだったのに、能面をかぶり真っ白な装束をまとったった能の踊り手が出てくるわけ。そこでコーラスの代わりに謡の合唱とと二十弦の琴を伴う大オーケストラがで伴奏して踊る訳。鼓がアクセントをつけてね。まさにトリスタンの「愛の死」の日本版みたいなフィナーレ。これは日本の究極のエロチシズムですよ。
運営者 谷崎の描写は余計なことを言わずに、それでスパッと終わりなんだけど。佐助が「これでお師匠様の見ていた世界がわかるようになった、やれうれしや」と。
手塚 だからそのへんのことは、三木稔のイメージでやったんでしょうね。それだったら、ワーグナーの「愛の死」の部分は、ほとんど一言で言ってしまえることを十何分間もの間盛り上げて、どんどん転調して上げていってめくるめく世界を……。
運営者 ハーイ、先生。一言でいうと何なんですかそれは。
手塚 これはやっぱり、ドイツゲルマンのエロスと、日本のエロスの違いですかね。
運営者 だって「トリスタンとイゾルデ」は、そもそもイギリスの話でしょうが。
手塚 ケルトの民話だね(笑)。